なぜ人は歓び、感動するのか? ──空間デザインの暗黙知を科学的に解き明かす──


戸梶亜紀彦さん東洋大学
社会学部 社会心理学科 教授

菅谷みどりさん芝浦工業大学
工学部 教授

青野恵太乃村工藝社
「歓びと感動学」プロジェクトチーム リーダー
insights-未来のカタチ
空間創造によって人々に「歓びと感動」を届ける─創業以来、乃村工藝社で130年以上も受け継がれてきたミッションは、これまで社員たちの経験知や暗黙知によって、実際のものづくりに反映されてきた。しかし今、その経験知や暗黙知を言語化し、体系化し、科学的に「歓びと感動」を解明しようと、社内の研究プロジェクトが始まっている。共同研究に参加された東洋大学・戸梶亜紀彦先生、芝浦工業大学・菅谷みどり先生と、プロジェクトリーダーを務める青野恵太に現段階での研究成果を語っていただきました。
感覚で分かっていても、言葉で説明できないんです

青野 乃村工藝社には、空間創造によって人々に「歓びと感動」を届けるというミッションがあって、それを創業以来130年以上も実践してきました。だから「歓びと感動」という言葉は、私たち社員みんなが、心の中に持っているんです。でも、「歓びと感動」って何なのかとなると、明確に説明するのは難しいんです。日ごろ、「歓びと感動」がある展示や空間をつくっているのに、なぜその色にするのか、なぜその形にするのかを、理論立てて説明することは難しい。社内に経験知、暗黙知は積み上がっているのですが、それがしっかりと言語化、体系化されていない。
それで、これからの100年は、「歓びと感動」を体系化する研究や実験を重ねながら、社会に対して説明できるようにしましょう、というのが「歓びと感動学」プロジェクトです。
最初は社内の「ソーシャルグッド」という取り組みを通じて公募して、そこで挙がった50くらいの案を集約して大きく5つの研究チームに分け、プロジェクトが始まりました。
まずは、とにかく社内でディスカッションを繰り返しました。空間における感動って何なのだろう。その感動の抽出はどうやったらいいのだろうと議論して、ひとつの取り組みとして感動体験のアンケートを取ることに思い至ったんです。
アンケートを取ってみると、「ちょっとパターンがあるかも」みたいなことに気付きました。でも、このパターンの分類や抽出のやり方で合っているの? 何か違うような気がする、といった議論を繰り返しているうちに、「感動」を研究されている東洋大学の戸梶先生と知り合うことができ、学会でお声掛けして、「感動プロファイリング」の研究チームに入っていただきました。人はどんな時に歓び、感動するのか。そのプロセスを言語化、体系化して、「感動辞書」をつくろうというチームです。
「じーん」と「やった!」とは、違う感動です

戸梶 私はずっと「感情」の研究をしてきたのですが、従来の感情研究は、「気分」や「ムード」といった緩やかな感情の研究が多かったんですね。それで、もっと強い感情を研究したいなと思い、「感動」について調べてみたら、世の中でほとんど研究されていない。英語には、「感動」を表す言葉さえないんです。それで、実験なども交えながら、感動の研究を続けてきました。
例えば、被験者に感動的な映像を見てもらう。まったく同じ映像でも、前提となるシナリオを変えると被験者の感動評価が違ってくる。映像に設定された枠組みや、被験者が人生で何を背負っているかで、印象が変わるんですね。
心理学は、現象をどんどん分解していって要因を探す学問で、分解の過程でノイズ的なものを除去していく。でも、そこから得られたエッセンスを組み上げた時に、感動が再現されるのか。印象を整えることで、同じような感動に持っていけるのか。大事な要素をノイズとして除去してしまっていないか。そんな疑問がありました。乃村工藝社のような、つくり上げる方たちと一緒に仕事をすることは、まさにアカデミズムとは逆方向の検証になりますから、私にとってもいい機会でした。
実際に一緒に研究を始めてみると、私が考えてきた感動と、乃村工藝社が考える感動とは、少し意味が違うんですね。私は、いわゆる「感動した」という強い感情を研究していたのですが、乃村工藝社の方は、色々な感情の喚起や、心が動くことをすべて感動と捉える。幅が広いんです。「じーん」とくる感動と、「やった!」という感動とが違うように、感動にもタイプがある。それで、感動を幅広く捉えることにして、さまざまな人に感動体験をインタビューして、そこから言語化、類型化する作業をしました。
「判断のプロセス」が見えるようになりました
戸梶 第一段階として、大分類で10、小分類で16のパターンを感動辞書にまとめました。まだ、調査・分析の段階ですから、データ蓄積や実験を重ねていけば、もっと充実した感動辞書になると思います。感動辞書は、基本的にナレッジマネジメントとして考えていて、基礎的な部分を言語化して、こんなプロセスでやると、こういう気持ちがつくれますよという土台です。これをアレンジして、何か独自のものをつくっていく。そんなイメージです。辞書は骨格の部分だけなので、もっと膨らましていただけたらなという想いでやっています。

青野 戸梶先生と一緒にやらせていただいて、私たちにはたくさんの発見がありました。そもそも、私たちには、印象を整えるという明確な理屈はなかったんです。前提条件を整えることで、ある程度は統一された感動が与えられるのでは? という仮説は新鮮でした。
例えばミュージアムをデザインする際に、いきなり展示室にするのではなく、入り口と展示室の間にホワイエ空間を設ける。そうすることで、展示室に入るとパッと異世界が開けるような感動が得られることは、デザイナーなら感覚知で分かっています。でも、感動辞書で明らかになったプロセスを活用して、ホワイエ空間の機能やデザインを工夫することで、もっとレベルの高い、誰にも共通した感動を生み出せるかもしれない。
実は、経験知のある優れたデザイナーや設計者は、自分の頭の中で瞬時にそれを行っているんですね。感動辞書で、そのプロセスがよく見えるようになりましたし、言語化もできます。私たちにとって、ものすごい宝物が手に入ったような気持ちですね。
戸梶 使い方としては、一人一人のスキルアップや新人教育にも使えるでしょう。でも、やはり基礎の部分なので、そこからどれだけ跳べるか、オリジナリティが重要だと思います。元の辞書からこれだけ変えていっても、こういう空間をつくれるんだ、という姿を見てみたい。さらに分析のしがいがありますから。空間づくりだけでなく、映像や本などのコンテンツづくりにも応用できると思います。
感情の微妙な変化は、生理反応に現れます
青野 「感動プロファイリング」チームは、心の大きな動き、すなわち感動を誘発するトリガーを解析するのが研究テーマですが、それとは別に、心が動き出す前の感情の状態を科学的に測定し、感情の変化を追いかける方法がないだろうかと立ち上げたのが、空間における「感情ものさし」の研究チームです。そちらのチームには、芝浦工業大学の菅谷先生に参加していただきました。乃村工藝社には、これまでの膨大な量の竣工写真が蓄積されていますので、それらと生理指標とを組み合わせて、感情を測定してみようという試みです。
菅谷 もともと私は、情報科学という分野で研究をしていましたが、親の介護をきっかけに、生体反応から感情を推定する研究を始めました。理系の基礎は、まず量をはかることにあります。でも、感情は目に見えないし、表す単位もない。単位がないものにアプローチするのは、最初に単位をつける人になれるかもしれないという、ちょっとワクワク感がある題材なんです。そんな時に乃村工藝社から、心理モデルと生理指標を使って感情を測る方法を一緒に考えませんか、「感情のものさし」をつくりませんかというお話をいただいたんです。
戸梶先生たちは、感情の言語化、体系化へのアプローチですが、私たちは、言語化されないちょっとした感情の変化を、生理指標、身体反応から読み取ろうというアプローチです。ウエアラブル端末を使って、脳波と心拍を測定する。例えば、怖いものを見た時には胸がギュッとする。あるいは、可愛いいものを見ると、ほんわかするのは、脳と自律神経が反応するからです。その反応を脳波と心拍の動きから指標化してみようというわけです。
指標づくりですので、ポジティブな「感動」だけでなく、ネガティブな感情も含めた「喜怒哀楽」の基本感情をベースにしました。ただ、人間の感情はとても複雑で、「幸福」と「リラックス」とが違うことは感覚的には分かるのですが、その違いが科学的に測れるのかというところが、この研究の非常に面白いところです。
AIが怖くなくなりました

菅谷 具体的には実験協力者に10万枚の竣工写真の一部を見てもらい、その生理指標を解釈(脳波・心拍変動)しながら、心理モデルにマッピングしていきます。
例えば、マップ上に第4象限(瞑想的な集中)に当たる数値が出た時に、デザイナーの方に確認する。すると、これは図書室なので狙い通りですといった解釈をアドバイスいただく、こんな形でチームで答え合わせをしていくような感じでした。生理反応をもとにした「感情のものさし」なので、説明しづらい反応もきちんと取れることが重要なのです。
青野 菅谷先生には、空間の色の違いで感情がどう変わるかとか、リアルとバーチャルの空間画像で、反応がどう違うかなども試していただきました。
それで面白かったのは、男女の違いです。リアルとバーチャルの反応の差より、男女差のほうが大きい。社内のデザイナーには男性、女性がいますけれど、お互いに「なんか感覚が違う」と思うことがあるんですね。でも、違いをなかなか言語化できない。菅谷先生の実験で納得がいきました。
菅谷 女性のほうが、生理反応がかなり多様で分散するんです。一方で、男性は、分散しないで類似している。そういう傾向を頭に入れてチームを組んだり、ものづくりをするのは、新しいダイバーシティの考え方かもしれないですね。みんな平等で、みんな素晴らしい。でも、いいと思うもの、そうじゃないものには生物学的、生理的な傾向がある。面白い結果だったなと思います。
青野 最近ではAIを用いた取り組みも進めています。私たちが予想した位置と、AIから出力する位置はけっこう近い。
私はこのプロジェクトを始めてから、AIが怖くなくなりました。以前は、デザイナーにとって脅威になるかもしれないと考えていましたが、「歓びと感動」を切り口にする限り、AIは人間に追い付けないと感じます。AI自身が感動しませんから、人が本当に感動するものはつくれないし、説明もできない。計算して、それらしいものは出せると思いますが。
「歓びと感動」の根拠を説明したい
青野 ここまでのプロジェクトでは、戸梶先生、菅谷先生に別々に動いていただきましたけれど、今後は、どんどんご一緒にやっていただくと、また違う掛け算が始まって、精度も別次元に高まると思います。
菅谷 私は、戸梶先生がおやりになっている「感動をもたらすプロセス」を測らせていただきたいです。
戸梶 そうですよね。菅谷先生のお話をうかがって思ったのは、ものさしが1つではなくて、複数あればいいなと。強烈な感動に対しては、スケールの幅が広いものを使い、微妙な感情の動きには、スケールの細かいものを何種類か用意して、それぞれ変えていく。そうすると、はるかに精度が高く測れるかなと思いました。
菅谷 確かに。色々なスケールを用意すれば、測る対象も増やしていけますね。
青野 言うまでもなく、菅谷先生にお願いしたのは、写真に対する生理反応の測定でした。瞬間を切り取ったものなんですね。だから1つの感情にプロットできる。でも、空間の中を動いていくと、感情も常に変化していく。今後はその連続性をどうやって測定し、プロットしていくのか。感動のプロセスやパターンとの掛け合わせをしていくのに、そこがとても重要になりますね。
菅谷 本当にそうだと思います。それこそホワイエで待っている時の緊張が、パッと解放されるプロセスを測ってみる。時間を長く測ることによって、分かることがあると思います。計測の際に、質的なアプローチや、もう少し時間にまたがったアプローチをどう考えるのか。考える部分と組み立てて構造を持たせる部分は、やってきていないので、ご一緒できればすごくありがたいですし、楽しみでもあります。
青野 このプロジェクトは、数年で終わるものではないと思っています。乃村工藝社が続く限り、この「歓びと感動学」の取り組みは続けてほしい。時代ごとに色々なものが発展していきますし、私たちの感覚も変わっていくはずです。その都度、「歓びと感動」を更新していかないと、本質的なアプローチからはズレていく。幸いにして私たちの会社は130余年続けてこられたけれど、これから130年続けていくためには、こういう取り組みが必要です。
乃村工藝社がつくる空間は、「歓びと感動」というものが、ちゃんとした根拠をもって説明できる空間になっている。それが当たり前になる状態にしたいですね。
(2026年1月収録、肩書きは収録時のものです)
写真=阿部 了
プロフィール

戸梶亜紀彦さん東洋大学
社会学部 社会心理学科 教授

菅谷みどりさん芝浦工業大学
工学部 教授

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