世代を超えて集まれる場で「人のつながり」の復興を
- #東北
- #ソーシャルグッド
- #地域活性化
- #サステナビリティ
planning & design ─コミュニティ再生の拠点をつくる
深沼うみのひろば
宮城・仙台
東日本大震災から13年。ようやく復興が始まったエリアがある。
今なお人が住むことができない被災地で、どんな復興を目指していくのか。
かつてあったような、人と人とのつながりを再生しながら、 世代を超えたさまざまな人々が集い、つながれるような、 新たなコミュニティの場を構築するチャレンジが続けられている。

「人と人とのつながり」を再生したい

えっ、どうしよう・・・・・・
乃村工藝社のプランニングディレクター、梶村直美さんは、一緒に訪れた同僚デザイナーと思わず顔を見合わせた。2021年12月、真冬の寒風が吹き抜ける海辺の被災地には、見渡す限り、なにもない風景が広がっていた。
仙台市荒浜・深沼エリア。海岸沿いに美しい松林が続くこのエリアには、かつては約800世帯、2200人が暮らしていた。海岸線のすぐ内側に並行して、舟運のために伊達政宗の時代から開削が始まった運河、貞山堀が走り、漁業が盛ん。内陸側には農地が広がり、半農半漁の穏やかな暮らしが営まれていた。海岸は仙台市内で唯一の深沼海水浴場として親しまれ、夏になると4万人以上もの人が訪れる。そしてなによりも、仙台市民にとっては、思い立ったら気軽に遊びに行ける海辺の憩いの場でもあった。

しかし、2011年、東日本大震災の津波は、この地区にも押し寄せ、家屋はもとより、生活基盤のすべてを流し去ってしまう。被災後、仙台市はこの辺りの海岸沿い一帯を災害危険区域に指定。人の居住や宿泊を禁止する一方、市が土地を買い上げ、元の住民には移転してもらう措置が取られた。
災害危険区域として、長らく復興が手付かずだったこのエリアで、新たな利活用を考え、活性化しようと仙台市が動き始めたのは2017年のこと。エリアをいくつかのブロックに分け、希望する民間の事業者に土地を貸し出すことが決定された。
人の居住や宿泊はできないものの、市が構想したのは、スポーツ施設やレジャー施設、公園、芸術・文化施設、飲食店、ショップなどの「集客・滞在施設」。貞山堀やサイクリングロードなどの「復興ツーリズム施設」。さらに、地域の文化や震災の記憶を継承していく「地域交流の場」という項目も入れられていた。

事業者の公募に応じたうちの1社が、仙台市の不動産会社、今野不動産だった。もともと荒浜・深沼エリアにゆかりがある会社であり、仙台市内の復興計画に関わっていくなかで、荒浜・深沼エリアの復興にも役立ちたいという想いから手を挙げたという。
どんな施設をつくればいいのか、今野不動産では、元の住民に聞き取りをして回る。もともとこの地区には、ご近所同士がゆるやかにつながり、暮らしのさまざまな場面で協力し合うことが当たり前の文化があり、協力し合うという意味の「結いっこ」という言葉が根付いていたほど。住む場所を移転した後も、かつて荒浜・深沼エリアにあった、顔の見える関係性の復活を望む声が多く寄せられた。
こうした声を受けて、復興には人と人とのつながりの再生が欠かせない、との想いが生まれ、コミュニティの拠点をつくろうという方向性が固まっていった。しかも、そのコミュニティは世代を超えたものにしたい。震災前の暮らしを知り、被災の記憶がある親世代から、これから新しい文化や活力を担っていく子世代へと、代々つないでいけるコミュニティの場、というものだった。
そして、具体的なプランニングを任されたのが、梶村さんたちだった。
この地域をどうにかしなきゃいけない

梶村さんが、まず手を付けたのは、地元でネットワークを持つ人たちとコンタクトすることだった。
「コミュニティ拠点といっても、日常的に通うからコミュニティができるのであって、もう人は住めないし、なにか目的がないと人が来ない場所でどうつくれるのか。地元の人にとっては、よくも悪くも被災地ならではの想い入れがあるし、心理的なハードルもあります。それで、地元にネットワークをお持ちの方々を通じて、いろいろな人々や地元企業にコミュニティ拠点への意見や感想、要望などをヒアリングしていただくところから始めました」(梶村さん)
そして、最初にコンタクトしたひとりが、STUDIO 080のコミュニティマネージャー、栃山剛さんだった。STUDIO 080は、仙台市に拠点を置く丸山運送が運営するコワーキングスペース。その仕事柄、企業から学生たちまで、幅広いネットワークを持っている。 話を聞いた栃山さんは、まず若い人に動いてもらうことを考えたという。
「僕らがヒアリングに行ってもいいですけれど、コミュニティの中心にはやはり若い層がいなきゃいけないと思ったので、基本的に学生さんにヒアリングに行ってもらいました。僕が担当しているのは、地元の会社さんが多いのですが、震災もあって、なかなかこの荒浜・深沼エリアに親しみを持っていただけていない。そこに学生さんが話しに行くことで、いいシナジー効果が生まれることを期待しました。日ごろから、地元の会社さんには復興の手助けをしたいという想いが強いと感じていて、学生さんたちが復興に関わるとなると、手を貸してくださる会社さんはたくさんあるはずだと思っていました」(栃山さん)
栃山さんたちのヒアリング結果は、梶村さんにとって心強いものだったという。
「やはり、この地域をどうにかしなきゃと思っている人たちが、たくさんいらっしゃるんです。どうにかしなきゃいけないけど、どうしようもなくて、なにをやったらいいのか分からない。どう手助けしたらいいのかも分からない。それで、コミュニティ拠点のお話をすると、なにか関わりたいとおっしゃってくださる。個人の方だったり企業さんであったり、関わり方はそれぞれだと思いますけれど、なにがしか見いだせるんじゃないか。これだったら私でも関われると思っていただけるものをデザインしよう。いろいろな関わり方の案を出していこう、ということでプロジェクトはスタートしました」(栃山さん)
なにもない場所に、色と音とを足していく

予定されていたクラブハウスの建築を進めながら、コミュニティづくりの最初に、梶村さんが据えようとしたのは、人の暮らしの気配を取り戻すようなプレイベントだった。
「かつては家々がたくさんあって、人々の暮らしがあったんです。暮らしがあるところには、必ず色もあるし音もあります。でも、ここには、なにもない。音もヒヨドリの声しか聞こえない。堤防が立ち上がって、波の音も聞こえない。とても寂しいなと思い、まず、色と音をつくって、この場所に足していく行為をプレイベントとしてやれないだろうか。オープニングイベントを準備していく過程そのものを、地元の人たちが共有するプレイベントにする。学生時代に、みんなで参加した文化祭の準備のようなものですね。それで、地元の方たちと相談することにしました」(梶村さん)
その相談相手のひとりが、一般社団法人・荒井タウンマネジメントの沼里理恵さんだった。沼里さんは、荒浜・深沼エリアから5㎞ほど離れた荒井地区で、街のコミュニティづくりに参加している。荒井地区は、仙台市中心から地下鉄が乗り入れていて、荒浜・深沼エリアからの移住者も多い。 相談を受けた沼里さんは、地域の新しい動きを感じたという。
「とてもすてきな計画だと思いました。もう、クラブハウスの建築が始まっていたので、地域の人たちには、なにができるんだろうという期待感があったのですが、お話をうかがって、あっ、こういう場所ができるんだって。地域活動している仲間たちに共有させてもらったら、やはり、みんないいねという反応でした。かつてここに住んでいた方々で、この土地への想いを継承している人たちが、いまだにここで活動していたり、定期的に集まったりしているので、こういう場ができると、元々ここに住んでいた人たちや企業さんのハブ的な拠点になるんじゃないかという期待がすごくありました。それに、地元の方々には、いろいろな想いが錯綜していて、かえって動きにくい面があります。梶村さんのような、外の方が飛び込んできてくださったことは、風通しをよくする効果があったと思います」(沼里さん)

みんなでつくる、みんなのひろば
「深沼うみのひろば」は、広さ1.3ヘクタール。最初の施設としてクラブハウスが建てられた。“地元に刻まれた文脈に沿った建物”をというコンセプトから、建屋はあえて民家のボリュームにとどめ、この地で伝統的な切妻屋根の様式を踏襲。“海辺のカフェ”や“サーフライフ&サーフカルチャー”の空気感をまとった、誰もが入りやすく、開放的な空間とした。あらかじめなにかを用意するのではなく、ここに集まる人々が、自分たちでなにかを生み出す場という意味で、施設の開発方針は「みんなでつくる、みんなのひろば」。


建物の完成に合わせて、2023年の8月、9月にプレイベント。10月にオープニングイベントが開かれた。 色と音をつくるプレイベントでは、さまざまな人々に集まってもらい、700本以上の風車や、テキスタイルのアーティストとともに、風になびく布アートを制作。親子たちと学生とで、施設のテーマソング2曲をつくった。 そして、オープニングイベントでは、それらのお披露目を兼ねたプログラムを設定。世代を超えた大勢の来場者が訪れる一方で、ミュージシャンが参加したり、牧場からポニーがやってきたりと、荒浜・深沼エリアは久々の賑わいを取り戻した。

イベントに参加した団体や、協賛した企業は合計でおよそ100。栃山さんは、これからの可能性を感じたという。 「なにもないところにコミュニティをつくるのは、相当に難度が高くて、企画を考えるのが大変でした。でも、施設を拠点にいろいろな地元企業が関わって、その軸に若者がいてどんどん波動を膨らませていく。まずは、そこに着地できたかなという感じですね。今、企業は自然やSDGsへの関心が高いですけれど、ここだったらリアルに自然を生かしてなにかを運営することができる。この場所でなにかをしたい企業は多いと思います」
沼里さんも、新しい地域の魅力をつくれる可能性があるという。
「仙台市では、地域のブランド化を進めていて、海岸エリアは“海手(うみのて)リゾート”を目指していこうとしています。ここは交通が便利で、高速道路はすぐそばを走っていますし、ここから自転車で20分くらいの地下鉄・荒井駅は仙台駅から約15分の距離。仙台空港へは、クルマで30分圏内です。果樹園もできましたし、海の自然と美味しいもので、魅力を発信していくこともできそうです」

今後、深沼うみのひろばは、クラブハウスに隣接して、コミュニティの“部活動”に使えるような多目的スタジオをつくる予定だ。食の体験をする農園やバーベキュー場を整備する構想もあり、少しずつ施設を充実させていく。
荒浜・深沼エリアでのコミュニティづくりは、きわめて長期のチャレンジになると梶村さんはいう。
「正直なところ、コミュニティは1年、2年ではできません。仙台市から借りた土地が30年契約なので、30年後にどんなコミュニティができあがるべきなのか、長期スパンで考えたい。子どもの成長とともに、ここも成長していく。子どもたちが大人になって、その子どもを連れて来るような親子のコミュニティがつくれたらいいなと思っています。さまざまな関わり方をトライしながらネットワーク、コミュニティの輪を広げていきます」
2024年7月15日。深沼海水浴場は、東日本大震災以来、14年ぶりに海開きを迎えた。荒浜・深沼エリアの復興は、最初の一歩を踏み出したばかりだ。


(2024年6月取材。記事の肩書は取材時のものです)
取材・文=能勢 剛(『日経トレンディ』元編集長)
写真=©木内和美
イベント写真提供:MOREDRAW
プロフィール
一般社団法人 荒井タウンマネジメント
事務局 次長沼里理恵さん
乃村工藝社
クリエイティブ本部 プランニングプロデュースセンター企画2部 第5ルーム ルームチーフ梶村直美さん
STUDIO 080
コミュニティマネージャー栃山剛さん
Media乃村工藝社のメディア
- 乃村工藝社SCENES
お問い合わせ/お見積もり依頼/資料請求は下記よりお気軽にご連絡ください。
お問い合わせの多いご質問や、よくいただくご質問は別途「よくあるご質問」ページに掲載しておりますので、
ご活用ください。