太陽の家は日本の障がい者スポーツの父と呼ばれた中村裕博士によって1965年に創設され、「保護より機会を(No Charity,but a Chance)」を理念に、障がい者の生活・仕事・スポーツを通し自立を支援している施設です。創設者中村裕博士や日本の障がい者福祉と太陽の家の歴史、そして1964年の東京パラリンピック競技大会のレガシーと障がい者スポーツの歴史を振り返りながら、今なお生きにくさを感じている身体・知的・精神・発達障がい者が、夢と希望を持てるような場として、太陽ミュージアムの設立が計画されました。
このミュージアムは「学ぶ」「体験する」「感動する」をコンセプトとし、資料やアーカイブの閲覧、障がい者の暮らしをサポートする道具や、障がい者スポーツの体験などができます。
また、太陽ミュージアムは、地域交流の場であり、これからの共生社会へ情報発信を続けていくための拠点でもあります。自分自身の可能性を見つけてもらい、だれもが自分らしく生きられる社会へ。本当の共生社会の実現に向けた活動の輪を別府から国内外へ広げていくことを目指しています。
他にない体験型であり、未来志向のミュージアムとしたいということ、また、共生社会について考え、発信していく拠点としたい、という気持ちが、ディスカッションを通してより強くなっていったと感じました。
空間全体は、障がいの有無にかかわらず、このミュージアムに来た人が夢や希望をもって未来むけて一歩踏み出したくなるような気持ちを醸成するため、陽だまりのような明るさがある軽やかなデザインとすることを徹底しました。空間用の楽曲もコンセプトにあわせてオリジナルで制作することで来場者の「気持ち」を未来志向にすることに高い効果をもたらしています。ミュージアムのロゴは、多様な形を組み合わせながらも調和を図り、共生のイメージを込めて制作しました。グラフィックで使用するキービジュアルについては施設の名前にもある太陽の光がまんべんなく降り注ぐイメージで右上がりの斜めラインを採用。この斜めラインは空間のさまざまな要素にも取り入れています。また、旧資料室には古い貴重な資料が大変多くありましたが、歴史館のように見えてしまうと未来志向のミュージアムと感じにくいこともあり、展示品の選定についても慎重に話し合いながら伝えたいことを伝えるためのモノを選定し、見せ方についても極力重くならないよう考慮しました。各ゾーンでは、太陽の家の歴史だけでなく、「今」を表現する要素の追加し、展示の最後には「For ⇒ With 共に生きるとは?」 というテーマで別府のまちで起きている共生の事例をプロットした地図を設け、共生社会について考えるきっかけとしました。
また、太陽の光と共生をイメージして、さまざまな色で染色された竹ひごを4000本使用し、太陽の家の利用者の方々や関連会社の社員さんなど総勢400人で自由に編み込んで制作したアートワーク「ミンナノタイヨウ」をミュージアムのシンボルとして制作し設置しました[寄贈(企画・デザイン・制作)乃村工藝社(仮)]
「ミュージアムが明るく、展示も見やすい。」、「体験できる展示は実感できて、障がい者への理解が深まった。」、「さすが乃村工藝社だ。」などの声をいただいてます。
- オープン
2020
- 所在地
大分県
- クライアント
社会福祉法人 太陽の家様
- ソリューション
企画、デザイン・設計、サイン・グラフィックデザイン、建築設計、設計監理、什器制作、コンテンツ設計・制作、制作・展示施工、制作・内装施工、保守管理
- 備考
2022年3月1日からノムラテクノはノムラメディアスに業務統合しています。
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