NOMURA

博覧会資料COLLECTION

おしらせ一覧

検索結果:190件
1....363738
「特別展・戦争と博覧会」が開催

「特別展・戦争と博覧会」が開催

タイトル  特別展・戦争と博覧会
開催日   平成17年2月22日~4月24日
会場    ピースおおさか・1階特別展示室
主催    財団法人・大阪国際平和センター(ピースおおさか)
後援    大阪府・大阪市・大阪府教育委員会・大阪市教育委員会

大正末期から昭和30年までの博覧会の変化をたどり、戦争が博覧会に及ぼした影響について考えます。
当資料コレクションも一部展示されています。

「別冊太陽・日本の博覧会」が出版

「別冊太陽・日本の博覧会」が出版

タイトル   別冊太陽・日本の博覧会・寺下勍コレクション
発売日   平成17年1月20日
出版社   平凡社
監修     橋爪紳也
解説     寺下勍(補筆・橋爪紳也)
協力     博覧会史研究会
資料提供  乃村工藝社
価格     2,700円

乃村工藝社が全面協力したビジュアル版・日本の博覧会史です。博覧会の始まりから大阪万博までを扱っています。通常の号より増ページされた特別号です。
満載の資料は全て乃村工藝社・情報資料室から提供しました。

朝日新聞(2005/2/20刊)山下裕二氏・書評
 びっくりした。こんなに凄いコレクターがいたのかと。寺下勍氏。一九二五年生まれ。今年八十歳。本書に収められた、明治初期から大阪万博に至る膨大な博覧会資料は、すべて彼が収集したもの。
 いや、コレクターというと、私的嗜好に邁進する、偏執的な人かと思われるかもしれないが、そうじゃない。このコレクションに、オタク的ニュアンスはない。社会的使命に突き動かされた結果だ。
巻末のインタビューによれば、「とかく企業というのは仕事の後に記録、資料を残すということには熱心でないということです。博覧会のために造ったものを、会期が終わると処分してしまう。何とか残したいという気持ちが強まりました」という。
ディスプレー会社に勤めながら博覧会資料の収集に努め、退職後は「博覧会研究協会」を組織した寺下氏のコレクションは、数年前に乃村工藝社に寄贈され、ネット上で公開されている。
 ここに掲げた昭和十六年の「國防科学博覧会」のポスター、トリミングや、今でいう画像処理のセンスに舌を巻く。西宮球場と宝塚新劇場で開催されたこの博覧会、なんと百万人もの入場者があったという。記憶している人がどれほどいるのだろうか。

NHKで「万博と日本」を放送

NHKで「万博と日本」を放送

番組名  ウィークエンドジャパノロジー
       44分スタジオ番組 海外向け放送(NHKワールドTV)
放送日  1月7日(金)18:15~18:59(英語主・日本語副)
        (再)21:15~21:59(日本語主・英語副)
       1月8日(土) 4:15~ 4:59(英語主・日本語副)
        同日 10:10~10:54(日本語主・英語副)
       1月9日(日)11:10~11:54(日本語主・英語副)
           23:10~23:54(英語主・日本語副)

万博そのものと出展物などを通して、日本社会の変遷を紹介
 ●パリ万博からの黎明期~昭和15年「幻の万博」
 ●大阪万博と日本
 ●愛知万博の見所
番組で使用する資料提供を行いました。

「MeetingBusiness」に資料提供しました

「MeetingBusiness」に資料提供しました

タイトル   季刊ミーティング・ビジネス No9
発行日   平成17年1月7日
発行所   ジェイティービー
価格     2,100円

特集「愛・地球博」の構成記事のうち「いまさら万博、されど万博」(橋爪紳也・磯貝政弘)に資料提供を行いました。

「観覧車物語」が刊行

「観覧車物語」が刊行

タイトル   観覧車物語
発行日   平成17年1月14日
発行所   平凡社
著者     福井優子
価格     2,940円

シカゴ博覧会で登場したフェリルホイールをはじめ、世界各地の観覧車を調査し、日本最初のものも確定。「観覧車通信」東京支局長が書き下ろす観覧車のすべて。貴重図版満載。博覧会研究会のメンバー・福井優子さんの執筆です。数カットの写真資料提供をさせていただきました。乃村工藝社の紹介もされています。

朝日新聞(2005/2/20刊)木下直之氏・書評
 10年前には観覧車と飛行塔の区別もつかないほど「遊園地オンチ」だった著者は、あれよあれよという間に、『観覧車通信』の極東特派員、ついで東京支局長へと出世した。とはいえ、支局長のほかには、大学教授を定年退職した編集長がアメリカにひとりいるばかり。11年前から、世界中の観覧車に関する情報を集めた無料のニュースレターを、せっせと発行してきた。発行部数は公称100部。
 その創刊間もないころに、ふとしたきっかけで編集長と知り合った著者は、これまたせっせと、日本の観覧車に関する情報を提供してきた。その功績を多とした編集長は、「日本における観覧車の歴史を調べてみないか」ともちかける。
 これまでに遊園地の研究はあっても、観覧車だけの研究はなかった。自ら未踏の地へ探索を決意した著者は、絵はがきや新聞記事や特許記録を博捜し、明治40年の東京勧業博覧会の観覧車が日本初、という通説をたちまちひっくり返してしまう。その前年に、最初の観覧車が大阪戦捷記念博覧会に登場したことを突き止めたからだ。当時の新聞は、「あるいは高く天に登らんとし、或いは降って地に潜まんとするの快を欲しいままにする」と、空前の楽しさを讃える。
 さらに、最初の国産観覧車が昭和12年の名古屋に出現したことをほぼ明らかにした。それから約七十年、戦後の遊園地ブームを経て、今日の日本は世界最大級の観覧車を何台も有する「観覧車大国」になったという。それを支えた製造業者らへのインタビューが貴重だ。
 こうして、明治・大正・昭和・平成の観覧車の歩みが、世界の観覧車の歴史の中にあざやかに描き出された。
 評者は、昭和40年ごろ、横浜ドリームランドで、生まれて初めて観覧車に乗った。回転するにつれて大きく移動するキャビンが怖かった。それは1920年代のニューヨークにあった「ワンダーボーイ」をそっくり真似たものだという。
 本書を手にする誰もが、こんなふうに、観覧車との最初の出会いを懐かしく思い出すに違いない。満載の写真が楽しい。

1....363738
博覧会・博覧会資料検索に戻る