NOMURA

博覧会資料COLLECTION

パリ万国博覧会-その他-5

パリ万国博覧会-その他-5

管理コード:1416/25-5[3]
開催日: 1900年4月15日(明治33年)
開催地:海外
種類:その他

この資料に関連する博覧会の詳細を見る

モネ「モントロゲイユ街」1878年6月30日の祭日、絵の裏に新聞の切抜きから日本経済新聞昭和63年6月18日掲載「各階に飾られた三色旗が6月の風にはためき、街路は人波に埋まっている。色彩のあざやかさ、風と光が、絵を見る人の心までざわめかせる。1878年発行の著名な美術雑誌「ガゼット・デ・ボザール」で、ある評論家がモネを「とりわけて印象主義者」と評しているが、文字通り、ある祝日の印象がここにあり、しかもその印象が不朽なものとなっている。1878年6月30日、この日の前夜からパリは沸き立っていた。6月30日にパリ万国博が開会し、時の大統領マクマオンはこの日を国家祭日とし、当局は、各戸に旗を掲げ夜には光を灯すことを求めた。普仏戦争やその後の政治的、経済的な不安定のため、パリは1869年以来、10年近く祝日をもたなかったのだから、人々が久しぶりに楽しんだのも当然である。翌年には大統領も替わり、共和制も安定してゆき、7月14日が国家祭日とされ、いわゆる「パリ祭」が発足するが、6月30日の祝日は、いわば「パリ祭」の先取りだったのである。この日、モネは、朝の新聞のすすめに従ってパリの町を画材一式を携えて歩いた。新聞は、レアル近くの古い街区の散歩をすすめたのである。街路のいくつかは、この日ばかりは馬車の禁止をされてたし、このあたりの古い町には織物業者たちが密集していたため、旗飾りも見事なものになるはずだったからである。モネは町を歩き、ある家のバルコニーに目をとめてその場所を貸してもらうよう交渉し、そこでこの作品を描いた。もう一点、同じような旗のある街を、モネはサン・ドニ街で描いているが、2点とも完全な仕上げまではいかなかったにしろ、6月30日中に大半は描かれたにちがいない。モネは描き終わったあと、「そっと、自分の名は告げずにバルコニーから降りた」と。後にある収集家に語っている。しかし、当時の一般の人たちが、仮にモネが名乗っていたところで知っているはずがなかった。ところで、モネの感性は、ここで、色と光の動きにひたすら向かっているが、しかし、その視覚が同時に、おそらくは無意識に、やはり重要なこともとらえていることを指摘しなければならない。群集が描かれていること、そして成長する市民社会にすべての希望があった19世紀には、群集こそその象徴だったということである。そして共和制の旗印である三色旗のはためく旗もまた、市民社会の象徴であった。モネがその市民社会に裏切られるかのように孤独な画境に向かうのは、その後間もなくである。」サイズ(W225 H319)、[file_1][TS]

検索結果一覧へ戻る

博覧会検索

博覧会資料検索

資料の閲覧・貸し出しを受け付けています。(事前予約制/平日のみ)
貸し出し依頼は、博物館等の公共機関のみに限ってお受けしています。
閲覧・貸し出しをご希望の場合は事前に以下まで連絡をお願いします。

株式会社乃村工藝社 情報資料室
TEL 06-6649-3331 FAX 06-6649-3335
<資料閲覧場所>
大阪市浪速区難波中2丁目10番70号 パークスタワー19階
株式会社乃村工藝社 大阪事業所

博覧会資料に関するお問い合わせ

公開している資料の年代は明治から平成に至る広範なものです。博覧会の主催団体の解散もあり著作権の確認が行えないものが大多数です。著作権の所有に関してご一報いただければ幸いです。

博覧会・博覧会資料検索に戻る