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パリ万国博覧会

パリ万国博覧会

管理コード:1416
開催日程:1900年04月15日(明治33年)~1900年11月12日(明治33年)
開催地:海外
会場:パリ・トロカデロ公園他
主催:
入場者:47,076,339人

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【資料件数:33件】

19世紀最後の年、フランスはこれまでの万国博三回の総決算と、20世紀を展望する万国博覧会を開こうと計画した。会場地域はシャンゼリゼー、エスプラナード、デ・サンヴァリード、セーヌ河左岸、シャン・ド・マルス、トロカデロ、セーヌ右岸ヴンセンヌ公園の数方所に分散した。本館はシャン・ド・マルスに建てられ、長さ500メートル、幅125メートル、軒高40メートルという鋼材製の大建築であった。陳列館はすべて鉄筋コンクリートや木造モルタル塗りの防火建築とした。アレキサンドル三世通りに面して、グラン・パレ(大宮殿)、プチ・パレ(少宮殿)の二つを新築。これらとセーヌ河をへだてているエッフェル塔を結ぶために、金色燦然と輝く彫刻に飾られたアレキサンドル三世橋を架けた。地下鉄が初めて走り、「動く歩道」がゆっくり回り、空には空中観覧車が人々を運びあげ、また、電気仕掛けの「水城宮」(シャトー・ド・ウ)と、巨大な天体望遠鏡で月世界を見せてくれる「幻想の館」のアトラクションが人気を集めた。またシンボリックなもののひとつには、アール・ヌーボー(新しい芸術)という曲線の流動で、装飾効果を与えるデザインが会場内に氾濫した。我が国は現地に法隆寺金堂をモデルにした高さ24メートル、幅18メートルの日本古来の建築美を表現し、館前に日本庭園を付設した。材料はすべてフランス製品て、瓦は亜鉛をもって銅色に塗り、室内の天井を格天井にし、竜鳳花卉の絵で、壁の四面は天女を彫り、その周囲に鳳凰を配し、円柱はすべてスタッフをもって、黒の下地に金泥を施したものであった。内部には帝室の御物、社寺の秘宝など、奈良朝より徳川時代にいたる歴史を代表する逸品が多数展示された。出品物で好評だったのは、いつもどうりの工芸品であったが、御木本幸吉の真珠や香蘭社の陶磁器であった。また会場内には日本の物産を扱う店が8つあったが、なかでも日本茶業組合は日本庭園の近くに木造二階建て喫茶店を建て、主に日本茶の宣伝をした。またこのころになると博覧会関係者だけでなく、一般の日本人見物客も出かけるようになる。見物客ではないが、壮士芝居の川上音二郎、貞奴一座が、会場の劇場であるロイ・フーラ一座のこけら落としに出演して人気を博し、またイタリア館の臨時スタジオで、武者を演じて日本人初の外国映画出演をしたり、大統領招待の博発会閉会に招かれたりして、フランス政府から勲章まで貰った。ほか、東京烏森の芸妓一行15人はパノラマ会社に雇われて海を渡ったが、芸者踊りをみせたり、長唄、清元なと日本の芸を披露し、芸能人たちの活躍も目立った。このパリ万国博覧会の特徴といえば、105種もの国際会議が、延べ日数613日も開かれたことと、クジ付き入場券を発売して財源確保に成功したことである。「世紀の饗宴」といわれたこの万国博覧会は4700万人を越える入場者を記録し、大成功を収めたのも、当時は完全に世界が平和で各国が十分協力が出来たのが最大の原因である。●「蓄音器伴奏つき映画、ステレオ蓄音器、60ミリ望遠鏡、エスカレータ」

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