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パリ万国博覧会

パリ万国博覧会

管理コード:921
開催日程:1937年05月25日(昭和12年)~1937年11月25日(昭和12年)
開催地:海外
会場:パリ・トロカデロ広場
主催:
入場者:30,645,000人

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【資料件数:17件】

パリ万国博覧会の伝統をさらに具体的に発展させ、規模と壮麗さは1900年のパリ万国博覧会をしのいだという評判であった。300に及ぶ近代建築のなかに、あらゆる分野の生活と芸術と技術の結合への試みが展示された。会場はこれまでのようにパリの都心であるが、以前の施設はすべて受け継がれない方針から、新しい近代的なものに代えられ、規模その他のあらゆる点で異なった。エッフェル塔の川向かいの博物館の殿堂、近くにシャイヨー官が近代建築として面目を一新、近代美術館も建てられた。1936年の総選挙による人民戦線政府成立、さらに1939年3月、ドイツのポーランド侵入にはじまる第二次世界戦争勃発の前夜という重苦しい情勢につつまれていた。会場にもそれが反映され、セーヌ河畔でスターリンのソビエト館と、ヒトラーのドイツ館がにらみ合った。スペイン館では、ファシストに怒ったピカソの大作「ゲルニカ」が周囲を圧倒していた。このように戦争の暗い影がさしこんでいたが、会場は夜間照明で華やかに彩られ、セーヌ河に設けられた噴水群、興趣を盛り上げる花火など、国際緊張とは裏腹に、いかにもパリらしい文化の香り高い博覧会となった。日本館は鳳凰堂や寝殿造りといった古典建築からの発想と違って極めて現代的なスタイルのものに変えた。前川国男の設計案で、鉄とガラスで構成された尖端的なデザイン、いわゆるモダニズムの典型というべきデザインであった。全体に無国籍のコスモポリタンな体裁になっていた。協会は日本的な和風の建築案を望んでいた。これは没になって変わって浮上したのが、前田健二郎の伝統的な和風造形の日本館案が取り上げられたが、フランスは当初、フランスの資材、労力を使うことが参加の条件としいた関係から、再び変更を余儀なくされた。そこで協会はル・コルビュジェの門下で、フランス帰りの坂倉準三に白羽の矢をたてた。そしてモダニズムのなかへ日本的な効果を違和感なくとけこむようなデザインの日本館がつくられた。二転三転はしたが、これがパビリオン・コンクールで見事グランプリを獲得したのである。この博覧会は3400万人を集めたが、20世紀におけるフランスの最初で最後のものとなり、以来パリでは万国博覧会は開かれていない。●「プラネタリウムの公開、原子の連鎖を解説した動く構造模型、ル・コルビュジェの半透明帆布の屋根と張力に強い鉄鋼の特性を利用した建築「新時代館」」「TV(フランス開発)に公開会議、場内交通機関に4人乗り無軌道電車、老人・子供用のタクシー・メーターつきの手押し車」

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