紀元2600年記念日本万国博覧会 (幻の日本万博) 開催中止
昭和の「幻の万国博覧会」(東京・横浜)主催日本政府会場東京月島埋立地横浜・山下公園明治からの宿願である万国博覧会開催の構想は、昭和に入った冒頭から動き始め、昭和5年、かつての博覧会倶楽部が万国博覧会協議会をスタートさせ、昭和10年に東京と横浜で開くことを提案、政府もこれに賛意を示したが、その後、満州事変が起こり、国情不安もあって、神武天皇即位以来2.600年に当たる昭和15年(1940)に、記念事業として開催しょうということになった。「紀元2.600年を記念し、世界産業の発展と東西文化の融合、国際平和の増進」を目的として、直接経費総額4.450万円を投じ、東京月島(今の晴海)の埋立地約150万平方メートル(約45万坪)と、横浜会場約10万平方メートル(約3万坪)に、入場者予想数4.500万人の観客動員する計画であった。会場の中心となる建国記念館(恒久館)ほか、主要館22館の設計も進められ、約50カ国が展示館を建設する予定であった。昭和13年には博覧会のテーマソングが街に流れ、抽選つき回数入場券も売り出された。しかし、この日本万国博覧会も第2次大戦がはじまって、すべてが中止しなければならなくなってしまった。
資料の閲覧・貸し出しを受け付けています。(事前予約制/平日のみ)
貸し出し依頼は、博物館等の公共機関のみに限ってお受けしています。
閲覧・貸し出しをご希望の場合は事前に以下まで連絡をお願いします。
株式会社乃村工藝社 情報資料室
TEL 06-6649-3331 FAX 06-6649-3335
<資料閲覧場所>
大阪市浪速区難波中2丁目10番70号 パークスタワー19階
株式会社乃村工藝社 大阪事業所
公開している資料の年代は明治から平成に至る広範なものです。博覧会の主催団体の解散もあり著作権の確認が行えないものが大多数です。著作権の所有に関してご一報いただければ幸いです。