ブリュッセル万国博覧会
ベルギーがコンゴを併合して50年になるのを記念して開いた国際博覧会条約による、第一種一般博による戦後初の万国博覧会である。第二次世界大戦をはさみ、前のニューヨーク万国博覧会から20年という、長い空白期間の後に開かれた万国博覧会で、テーマは進歩のなかで失なわれていく人間性復活を採り上げて、「科学文明とヒューマニズム」とした。人間の精神の発展を示す芸術と、物質文明の基礎となる科学技術を歴史的に展望することに重点が置かれた。会場はブリュッセル市郊外のヘイゼル公園とその周辺、約200万平方キロメートルが使用された。全会場の半分を主催国、他の半分が各国が使用した。シンボルとなったモニュメントは、原子力時代にちなんで「アトミュウム」と名付けられ、会場中央の広場に建設された。アトミュウムは原子核を1500億倍に拡大した高さは110メートルで9個の金属球で、建物の支柱にはエレベーターとエスカレーターが通り、直径18メートルの球体9個の内部には、レストラン、ビヤホール、展望台などが設けられた。主催国地区はベルギー地区、86館とベルギー領コンゴとルアンダ・ウルンディ地区7館に分かれており、娯楽施設、遊園地などを含んでいた。外国側地区は国際地区8機関、と外国地区は43カ国に分かれていた。アトミュウムの西へかけては噴水と花園に囲まれた広場に、ベルギー政府が展示した11の巨大な大ホール群があり、そこには国際美術館、迎賓館、大劇場、博覧会事務局など、いわゆるテーマ・ゾーンが広がった。日本館は前川国男が設計し、周囲の自然を巧みにとりいれた庭園を有し、建物は簡素で優雅な建築様式で注目された。日本館のテーマは「日本人の手と機械」で、第一部では伝統芸術の展示をしながら、日本人の手の器用さを歴史的にたどり、第二部で電子光学、電子工業などの産業を展示、第三部現代の工芸品を中心にという構成であった。日本館の建築費は、アメリカ館やソ連館の100分の1程度であったが、パビリオン総合コンテストで金星賞を受けた。この博覧会は、機械のために人間性を失っているという、現代のパラドックスを克服しようと高度の理想をかかげ、経済、科学、美術、その他文化一般が展示され、あるいはディスク・フェスティバルが行われ約400の文化会議が開かれるなどの特長をもった。入場者は予想の3600万人をはるかに上回る4200万人で、ブリュッセルがヨーロッパ大陸の中心部という立地条件の良さと、さらに戦後初めての万国博覧会が、いかに人々から待望されたかを示した。●「場内観覧用の2人乗り空中ケーブル「テレリフト」、会場から都市へ結ぶヘリポート、ソ連の人工衛星、一秒間に240億回振動する原子時計、日立製の電子顕微鏡」
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