日本大博覧会(幻の日本万博)開催中止
日本で万国博覧会を開こうという構想は、明治22年(1889)になってからで、翌23年はわが国に紀元2550年に当たるので、亜細亜大博覧会を開催しようと議会で建議されたが、当時の国力からみて不可能とする説が多数を占め、具体化するに至らなかった。明治30年代になると、官民挙げて博覧会が産業振興の一大国策という意識が、一段と強くなっていった。それに日露戦争の勝利もあって、日本でも万国博覧会開催の機運が高まった。明治39年の第22議会に万国博覧会開催建議案が提出され、早速、委員会を組織し、博覧会調査費25,000円の追加予算を計上、それが通過するや、政府が博覧会調査委員会を組織して、その調査をもとに予算1,500万円をもって、明治45年(1912)を期し、日本大博覧会を開くことになった。主会場は現在の神宮外苑を整備し、海外10数カ国の賛同を得た。しかし、政権が西園寺内閣から桂内閣に移り、財政困難を理由に中止になってしまった。政府は轟々たる非難を受け、明治50年には、明治天皇ご即位50年記念として開催となったが、陛下の崩御に次いで、欧州大戦が勃発し、またも流産になった。
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