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世界都市博覧会(開催中止)

世界都市博覧会(開催中止)

管理コード:1637
開催日程:1996年03月24日(平成8年)~1996年10月13日(平成8年)
開催地:東京都
会場:臨海副都心「東京テレポートタウン」
主催:(財)東京フロンティア協会
入場者:0人

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【資料件数:22件】

異変は東京都知事の交替劇によって始まる。都市博は事業費3兆9.000億円という巨額を投じた湾岸開発・臨海副都心を内外にアピールする起爆剤として、鈴木俊一都知事が推進していたものである。ところが1995年の都知事選に無党派の青島幸男氏が、都市博中止を公約の一つとして当選、政策の継続性を重視されてきた都政を打破して公約に応えようと、悩み、迷い抜いた末、最終決断を迫られた5月31日、遂に中止と発表したのである。そもそもこの計画は、1988年東京ルネッサンス委員会が「東京都市博覧会」として提唱し、翌年「東京フロンティア」と改称、1990年にその協会が発足し、基本計画や方針が決定・発表された。事業展開は東京テレポートタウンを会場に、メインテーマを「都市...躍動とうるおい」として、多彩なイベントを繰り広げようとするもので、世界都市博覧会とは呼称していなかった。改めて世界都市博覧会として再浮上したのは、1993年になつて泉真也氏や木村尚三郎氏などが総合プロジューサーに就任したころからである。その間、パブルの崩壊、臨海開発と併せて都市博の見直しも行われ、鈴木都知事も計画の縮小、2年延期など開催に向けて執念を燃やした。「青島は約束を守る男か、守れない男か、信義の問題だ」と、就任早々、大見得を切って登場した青島都知事、それが4月11日には「中止したほうがいいという姿勢は変わっていないが、断固中止というまで意固地ではない。規模を3割縮小したほうが財政負担が軽いということになれば、やってもよい」とやや軟化したと思うと、その3日後にはまた、「このまま進めても都民の利益は一つもない」として、規模を縮小しての開催でなく、あくまで中止する考えを示した。それに対してマスコミは、都市博の開催、中止には賛否両論であった。5月18日の東京都議会では異例の記名投票が行われ、賛成100、反対は23という結果、またまた青島都知事の決断を鈍らせた。5月末になって開催まで10カ月と近づく。当初25の企業グループが参加予定していたが、東京はイベントの競合も厳しく、パブルの崩壊、地域活性化のイベントも見直しの時期として、12の企業グループに半減した。それでも出展企業の多くは総事業費20~30億円を投資して、1日も早く決定してほしいと、苛立ちを募らせた。そして悩み迷い抜いた青島都知事は5月31日、遂に中止の決断を下した。公約を果たしたとはいえ、青島都知事の都政運営には暗雲がたちこめていた。

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