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ロンドン万国博覧会

ロンドン万国博覧会

管理コード:1602
開催日程:1851年05月01日(嘉永4年)~1851年10月11日(嘉永4年)
開催地:海外
会場:ロンドン・ハイドパーク公園(イギリス)
主催:
入場者:6,039,195人

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【資料件数:16件】

万国博覧会としてのはじめは、1851年(嘉永4年)イギリスで開かれたロンドン万国博覧会である。正式名称は「各国産業作品の大博覧会」という。1840年、ビクトリア女王の夫で王立技芸院総裁のアルバート公は、世界の文明国に出展を求めて博覧会を開く構想を立て、資金はすべて寄付によるものとされたが、女王がまっさきに応じた。それに呼応して有志から寄付があつまった。1851年5月1日、25000人を越える来会者の集まる会場に、ビクトリア女王が臨席して博覧会が開催され、女王は自分の戴冠式より素晴らしいと感激し、イギリスこそ世界市場を手中に収めたと実感したことであろう。未来建築のシンボルとして展示館の設計を一般から募集したが、どれも不十分であった。そこへ登場したのが造園かで大温室を設計することで知られるジョセフ・パクストン設計の鉄とガラスのクリスタル・パレス(水晶宮)であった。会場のハイドパークにある3本の楡の木をそのまま残すため、屋根は半円形の大屋根にして、長さ563メートル。幅は開催年にちなんで1851フィート(124メートル)とした。外光を十分にとりいれた大空間は展示場としてうってつけであった。このクリスタル・パレスは、万国博覧会の歴史のトップを飾るにふさわしい建物であって、その工芸技術は新しい革命をもたらし、鉄骨構造の大空間を必要とする博覧会建築は、今日でもその原理が変わっていないのである。出品人員17000人、そのうちイギリス9730人、フランス1760人、その他は欧州各国とアメリカなどであった。会期141日間に600万人余りが入場し、収入は総額508万円で、博覧会主催者は212万円の利益をあげ大成功であった。●「クリスタル・パレスは閉会後、サウスキングストンに移築されたが、1936年火災で焼失した。」「アメリカ陸軍用のライフル銃、マコーミックの刈取機などの農業用機械、ドイツの鉄工業製品(パネ、鉄道用車両、6ポンド砲など)。圧力釜利用の缶詰、マッチ清造用燐、揚水用遠心ポンプ、労働者階級向け住宅アパート・コテージ、ミシン、防水羊毛コート、水洗トイレ、入れ歯、義足など。」

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