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パリ万国博覧会

管理コード:1597
開催日程:1855年05月15日(安政2年)~1855年11月15日(安政2年)
開催地:海外
会場:パリ・シャンゼリゼ(フランス)
主催:
入場者:5,162,230人

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フランス最初の万国博覧会。それまでは先のロンドンでは「大博覧会」、ニューヨークでは「世界博覧会」と称したが、このパリでの博覧会は、はじめて「万国博覧会」といった。当時フランスは5年ごとに国営の博覧会を開いていたが、これを中止し、1851年のロンドン万国博覧会に先を越されたナポレオン三世が、もっと亜大な博覧会わ開いて世界わ驚かせようと思い、パリのシャンゼリゼ通りに面して、大きくそびえる産業宮殿を建てた。全体が長方形の構造で中心となる空間部はガラス張り、幅が約46メートル。その四方に二列の側廊がめぐらせてあった。内側から見るとガラス張りばかりであるが、正面は石造様式の重厚な外観であった。その後ろに円型の展示館。そしてさらに後方、セーヌ河に沿って1.200メートルもある細長い機械館が建てられ、その横に美術館があり、ドラクロア、ミレー、アングル、クールベなどの作品が展示され、いかにもフランス的であった。このようにロンドン万国博覧会では取り上げていなかった美術展や日用品の展示蝪を新設、またシャンド・マルスに家畜館などを建てるなど、新機軸を打ち立てた。呼び物であったのは、サン・ゴパンの出品したガラスであった。フランスもまたイギリスと同じように、インドシナなどの植民地の実情を展示した。入場者数516万2000人で収支で赤字を出したが、その主な原因は無料入場者の数かきわめて多かったといわれている。博三会そのものは大規模であったが、偉かしい成功といえないまでも、フランス風万国博三会の出発点となった。●「鉄の棒で編んだ網で補強したコンクリート・ボンド、床材の錬鉄製梁など」「開会式にはイギリスのビクトリア女王、アルバート公が臨席した」

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