NOMURA

博覧会資料COLLECTION

ロンドン万国博覧会

管理コード:1596
開催日程:1862年05月01日(文久2年)~1862年11月01日(文久2年)
開催地:海外
会場:ケンジントン公園(イギリス)
主催:
入場者:6,211,103人

この博覧会に関連する資料を見る
【資料件数:0件】

イギリスで第2回目のロンドン万国博覧会ハイドパークのクリスタル・パレスは既に移転しており、ケンジントン・ガーデンスが会場となり、展示物の面積が23エーカーであった。参加国は主催のイギリスおよび、その植民地である国、都市など24。それにヨーロッパ諸国、アメリカ、アジアからはイギリスの植民地インドのほか、シャム(タイ)、中国、日本。しかし、インド以外は直接の参加でなかった。この時、日本産の品物が展示されたが、ただし、これは徳川幕府からの出品でなく、初代駐日大使オールコックが収集し、本国へおくりこんだ品物である。オールコックは、来日前は中国に領事として勤務していた。そこで中国の美術工芸品に興味をもち、つづいて日本にきても日本の美術工芸品にも関心をもって収集し展示したのである。展示されたのは漆器、木象嵌、篭と竹製品、陶磁器、青銅器とその金工、紙と紙製品、染織品などとほかには江戸、東海道絵図、玩具、のぞきからくり、土人形まであった。この展示品には、まだ日本という国が知られていない時代で、イギリス側もその見事さに驚嘆した。この第2回のロンドン万国博覧会を見た日本人がいる。それは安政5年(1858年)の江戸条約によって、江戸、大坂、兵庫、新潟の関市・開港をできるだけ遅らせようと、各条約国と交渉するため渡欧中であった「文久使節」といわれる徳川幕府の遣欧使節団がたまたま開会式に出くわした。竹内下好守保徳の一行36人、そのなかに福沢諭吉もおり、日本人として初めて博覧会をみた。多くの日本人が博覧会の存在を知ったのは、福沢が帰国後に出版した「西洋事情」がキッカケである。アルバート公は前回の再現をもくろんだが、入場者621万1000人で、辛うじて収支トントンという成績であった。●「ベッセマーの製鋼法転炉実験、ゴム製品、ホイットワーズ社製ボール盤、ミネルヴァーフート印刷機」

検索結果一覧へ戻る

博覧会検索

博覧会資料検索

資料の閲覧・貸し出しを受け付けています。(事前予約制/平日のみ)
貸し出し依頼は、博物館等の公共機関のみに限ってお受けしています。
閲覧・貸し出しをご希望の場合は事前に以下まで連絡をお願いします。

株式会社乃村工藝社 情報資料室
TEL 06-6649-3331 FAX 06-6649-3335
<資料閲覧場所>
大阪市浪速区難波中2丁目10番70号 パークスタワー19階
株式会社乃村工藝社 大阪事業所

博覧会資料に関するお問い合わせ

公開している資料の年代は明治から平成に至る広範なものです。博覧会の主催団体の解散もあり著作権の確認が行えないものが大多数です。著作権の所有に関してご一報いただければ幸いです。

博覧会・博覧会資料検索に戻る