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パリ万国博覧会

パリ万国博覧会

管理コード:1595
開催日程:1867年04月01日(慶応3年)~1867年11月03日(慶応3年)
開催地:海外
会場:シャン・ド・マルス庭園(フランス)
主催:幕府薩摩
入場者:9,063,000人

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【資料件数:4件】

19世紀を代表する万国博覧会。シャン・ドマルス(旧練兵場)の会場敷地は、完全な円形でなく楕円形であったので、タテ約490メートル、ヨコ約386メートルの楕円形を同心円状に分けて、7つの陳列場とし、中央に長方形の中庭を設けた。ここに彫刻を飾り、いちばん内側の2つのギャラリーをつくり、芸術と労働の歴史を展示、その次の3つが手芸と原材料、いちばん外側の高さ25メートル幅35メートルと、他のギャラリーの2倍あるギャラリーが機械館であった。このこれまでにない巧みな会場方式をとった。クリスタル・パレスに代表される巨大な建物の中で展示するという常識を破るものであった。万国博覧会が産業博という認裁を、文化博的な性格を強めていくという方向を示し、その後の万国博覧会のモデルとなった。全会揚の動力は蒸気力でまかなわれ、約1000馬力に達した。ナポレオン三世は、博覧会は全世界の人々が工業カを競うオリンピックであると述べた。この博覧会に日本から徳川幕府が初めて参加し、徳川昭武を公使として派遣したが、薩摩藩・佐賀藩も参加して、互いに日本代表を主張しあい、幕末日本の国情不安をさらけだした。日本はコーナーには幕府が所有していた大船「安宅丸」の釣り鐘、貨幣一式、絵画では狩野派の掛け物や画帳、浮世絵など、書物では名所図会、北斎漫画などと地図を出品。薩摩藩は琉球や薩摩の特産物など、佐賀藩も磁器などを出品した。このような出品のほかに清水卯三郎が出した茶店が人気で、小池を配した槍づくりの六畳間で、軒に提灯を吊し、座敷では柳橋の芸妓おかね、おすみ、おさとの3人が、キセルで煙草をふかしたり、お茶の接待をしたりして珍しがられ、3人の芸妓の前にはいつも人がきが絶えなかった。またサン・ド・マルスの会場とは別に、パリの繁華街でもアトラクションに日本から手品師や軽業師の一行が大当たりをとっていた。コマ回しの松井源水、うかれ蝶の浅吉、浜鍵定吉、、隅田川松五郎たちである。パリのマスコミも日本の芸能を報道した。フランスは対日外交の意味わ含めてか、日本政府にグランプリを贈り、そのほか金牌1、銀牌4、銅牌16が贈られた。入場者1500万人という途方もない記録をあげ、パリの実力を世界に見せつけた。●「クルップ杜の巨砲、ジーメンスの自動式直流発電器、防火シャッター、水族館の登場」

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