NOMURA

博覧会資料COLLECTION

ウィーン万国博覧会

ウィーン万国博覧会

管理コード:1569
開催日程:1873年05月01日(明治6年)~1873年10月31日(明治6年)
開催地:海外
会場:ウィーン・プラーデル公園(オーストリア)
主催:
入場者:7,225,000人

この博覧会に関連する資料を見る
【資料件数:3件】

ウィーン万国博覧会は、オーストリアの皇帝フランツ・ヨーゼフ一世の治世25年を記念するもので、会場はウィーンのダニューブ河に沿った森と芝生の美しいプラーテル公園で、中央に高さ90メートル、直径約100メートルの鋳鉄製ドームとなっており、頂上には王冠がつけられていた。これを中心に展示場が櫛状に左右16ずつ整然と建てられた。さらにこの後方に50メートルかける400メートルの機械館が建てられた。この博覧会は日本が明治になって政府が参加した最初の万国博覧会である。明治政府は大隈重信を総裁に、佐野常民を副総裁とし、1867年パリ万国博覧会の経験者である山高信龍や田中芳男も加えた。さらに大学東校のお雇い外国教師、ドイツ人ワグネルもオーストリアの公使館員シーボルトの推薦によって加わった。展示は本館ドームの東側いちばん奥にあった出品物はワグネルやシーボルトのアドバイスで異国趣味には大型のものが良いと、名古屋の金のシャチ、張り抜きの鎌倉大仏、谷中天王寺五重塔、直径2メートルの大太鼓、直径4メートルの大提灯などで観覧者の興味を惹いた。しかし、日本に割り当てられた場所は、出品物に比べて狭かったので増築し、陳列棚も不足したのでイギリスの事務所から借用したほどであった。これとは別に会場南の花卉展覧場近く入り口に白木の鳥居わたて、奥に神殿をつくった。左に神楽堂をたて前には小さい池をうがち錦鯉や小亀などを放った。日本風の欄干のある反り橋をわたして、鳥居より神殿までの両側に小さい店を2・3軒、社前市のようにならべ、名産品を売った。また、この博覧会への参加には、もうひとつの目的として、ヨーロッパ先進諸国の工業技術を研修することがあり、派遣団71人のなかから「技術伝習生」が選ばれ、ワグネルのアドバイスにより、技術習得と調査、研究をして帰国した。5月5日、オーストリアの皇帝、皇后が来館して、反り橋の渡り初めをされた。また、日本の大工仕事が珍しがられ、長いカンナクズが興味をひい、ていねいに拾って帰る人もいた。博覧会そのものはわが国のほかドイツ、フランス、イギリス、ハンガリー、イタリア、ベルギー、アメリカなど23カ国に及び、入場者722万5000人に達し、収益もあげ成功であった。日本にとっても政治、経済、文化の発展に端緒を開き、産業発達史上重要な役割を果たしたのである。●「ジーメンスのアーク灯、電気クッションの試作品」

検索結果一覧へ戻る

博覧会検索

博覧会資料検索

資料の閲覧・貸し出しを受け付けています。(事前予約制/平日のみ)
貸し出し依頼は、博物館等の公共機関のみに限ってお受けしています。
閲覧・貸し出しをご希望の場合は事前に以下まで連絡をお願いします。

株式会社乃村工藝社 情報資料室
TEL 06-6649-3331 FAX 06-6649-3335
<資料閲覧場所>
大阪市浪速区難波中2丁目10番70号 パークスタワー19階
株式会社乃村工藝社 大阪事業所

博覧会資料に関するお問い合わせ

公開している資料の年代は明治から平成に至る広範なものです。博覧会の主催団体の解散もあり著作権の確認が行えないものが大多数です。著作権の所有に関してご一報いただければ幸いです。

博覧会・博覧会資料検索に戻る