東京山下門内博物館博覧会
前年に引き続き同じような内容で開いた博覧会であるが、まだ博覧会は何かを分からない一般の出品者に、見世物的な出品をしないようにと通達している。これを見ても博覧会の趣意は理解されていないことが分かる。翌8年からは機構の改革もあって、博覧会事務局は3月30日、「博物館」と改称された。博物館という名称は行政機構の一部の局名に過ぎず、たびたび問題になっていたが、翌9年1月の内部改革でようやく博物館として定着する。これまで博覧会とか博物館とかまぎらわしいところがあったが、明治6年のウィーン万国博覧会の参加に当たって、副総裁であった佐野常民が既に、日本でも大博覧会を開き、それを博物館とするよう提言している。これは実現しなかったが、このころは政府も機構改革が相次ぎ、博物館と博覧会の名称に混乱を来していたようである。明治4年、大学南校物産局に変わり、「物産会」と銘打って開催し、お株を奪われている。余談めいたが、この博覧会以後、山下御門内博物館では博覧会を開いていない。
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