NOMURA

博覧会資料COLLECTION

フィラデルフィア万国博覧会

フィラデルフィア万国博覧会

管理コード:1542
開催日程:1876年05月10日(明治9年)~1876年11月10日(明治9年)
開催地:海外
会場:フェアモント公園(アメリカ)
主催:
入場者:11,650,000人

この博覧会に関連する資料を見る
【資料件数:2件】

3年前のウィーン万国博覧会が、ますます国力が充実したでアメリカを刺激し、合衆国独立100年記念の万国博覧会が独立宣言の地フィラデルフィアのフェアモント公園で開かれた。「大宇宙」とよ呼ばれたこの博覧会は、アメリカで最初の大規模な本格的万国博覧会であった。会場面積115万平方メートル、初めはクリスタル・パレスのような建物をつくる計画であったが、途中で変更して大陳列館、機械館、農業館、園芸館、婦人館、アメリカ館、メモリアルホールなど167の展示館を建てた。機械館では高性能の巨大なコーリスのエンジンが捻りをあげ、観客を驚かせた。そのなかには同じくコーリスによる大型の水平歯車用の工作機械もあり、アメリカに繰出した発明の成果として電話機、空気制動機、ミシン、タイプライターなど過去20年間に発明された新しい機械んだ日本はこの参加にあたって、内務郷大久保利通を総裁にして、副総裁の西郷従道と事務官の田中芳男が現地へ派遣された。日本館は二つの建物を建てた。一つは事務所を含んだ2階建ての旅館風建築の本館で一階が展示場。もう一つは日本庭園のある平屋の数寄屋風づくりの別館で、一方の壁を取り払った構造にし、室内でお茶のお点前をしている様子が見えるようにした。資材は日本から送り、大工も現地入りして作業にあたった。ハッピに草履姿でヨイトマケから柱をたて棟上げをした。アメリカと工法が違う珍しさに、見物人があとを絶たない賑やかさであった。また、いつも黒山のような人を集めたのに、日本館の教育関係の展示の前で、パチ、パチとソロバンをはじき計算の実演をした手島精一であった。余談になるが、手島は開成学校(現・東大)につとめていたが、フィラデルフィアに留学した経験をかわれて派遣団の一員に起用されたのである。手島はこののちも海外の万国博覧会にことごく関係し、当時の日本ではただ一人の「博発会男」といわれ、明治14年には教育博物館館長となった。日本の出品物でよく売れたのは、佐渡の銅器、九谷、有田、淡路、美濃の陶磁器。評判が良かったが、高すぎるといわれたのは薩摩、京都、瀬戸などの陶磁器。安くてよく売れたのは、黒江、会津の漆器や長崎の巻煙草、有馬の竹細工などであった。このときもドイツ人ワグネルが出品の事務に当たった。博覧会の特長は、巨大な一つの建物から、その目的に応じて各種各様の建物がつくられるようになる。中央館型式(メインホール型式)から多数館方式(パビリオン型式)へと移行していったことである。入場者も会期159日間に1165万人を記録した。●「タイプライター、グラハム・ベルの電話・オルガン、アイスクリーム、ソーダ」、アメリカで成功した初の万国博

検索結果一覧へ戻る

博覧会検索

博覧会資料検索

資料の閲覧・貸し出しを受け付けています。(事前予約制/平日のみ)
貸し出し依頼は、博物館等の公共機関のみに限ってお受けしています。
閲覧・貸し出しをご希望の場合は事前に以下まで連絡をお願いします。

株式会社乃村工藝社 情報資料室
TEL 06-6649-3331 FAX 06-6649-3335
<資料閲覧場所>
大阪市浪速区難波中2丁目10番70号 パークスタワー19階
株式会社乃村工藝社 大阪事業所

博覧会資料に関するお問い合わせ

公開している資料の年代は明治から平成に至る広範なものです。博覧会の主催団体の解散もあり著作権の確認が行えないものが大多数です。著作権の所有に関してご一報いただければ幸いです。

博覧会・博覧会資料検索に戻る