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セントルイス万国博覧会

セントルイス万国博覧会

管理コード:1408
開催日程:1904年04月30日(明治37年)~1904年12月01日(明治37年)
開催地:海外
会場:セントルイス・フォレスト公園(アメリカ)
主催:
入場者:19,694,855人

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【資料件数:3件】

アメリカがフランスからルイジアナ州一帯の地域を買収してから100年になるのを祝って開催された大規模な万国博覧会であった。1900年のパリ万国博覧会で頂点に達したモンモス化の余波は、20世紀に入ってアメリカに及んだ。会場はフォレスト公園、総面積514万平方キロメートルと万国博発会史上最大の規模であった。会場内を走る鉄道は21キロにおよび、駅の数は17にもなった。展示館の数は1576棟もあった。会場最大の建物である農業館の内部を見るだけで14・5キロも歩かねばならず、約4万平方キロメートルのエルサルムやコロッシアムのあるローマ、トランスバールの戦場など、昔の町や事件が再現されるなど、多くの展示がなされたが、人間の体力では総てを見ることは到底見ることは不可能であった。そこへ暑い夏季に入ると、入場者は卒倒する者が続出し、けたたましいサイレンを鳴らしながら救急車が走り回っていた。このようにすべてが巨大すぎて、計画や運営面で失策であったが、近代科学の派手なデモンストレーションが行われ、160台の自動車が登場し、セントルイスとシカゴ間の無線通信実験の成功、さらに飛行船の操縦実演披露、有線通信の進歩を示す自動交換機、テレプリンターの登場、あらゆる料理を電気で行う実験などの展示など、前のシカゴ万国博三会以後の11年間に開発された技術と産業の進歩が強調され、一方、文化的影響が大きかったことについても成功であった。日本はこの年、明治37年は日露戦争で、ロシアは戦争を理由に不参加であったが、日本はこんなときこそ参加すべきと意気を示した。会場に「日本村」を建設し、特設館は平安時代の紫宸殿風の建物や金閣寺をかたちどった建物をたて、まわりに日本庭園もつくった。娯楽街には演芸館までつくられた。このなかには歌舞伎小屋もあって、「土蜘蛛」(つちぐも)が上演された。また話題となったものに御木本パールが養殖真珠と天然真珠でつくった「法隆寺・五重の塔」で、集まった観客のすべてがワンダフルを連発した。入場者1969万4855人、3分の1が無料入場者で大幅な赤字を生んだ。とはいえ良かれ悪しかれ、機械文明の進歩に信頼をよせて、人々を歓喜させたことも確かである。こうして19世紀的な万国博覧会は、このセントルイス万国博覧会をもって終わったといえよう。●「蒸気、ガソリン、電気式など160台の自動車、フォードB型出品、会場からスプリングフィールド間168・9キロメートルでの無線通信、操縦可能な飛行船5台、自動交換電話、有線のテレプリンタ、ホット・ドッグ、アイスティ、ハンバーグなど」、政府・民間(日本参加)・藤原時代寝殿造風日本館

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