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戦捷記念博覧会

戦捷記念博覧会

管理コード:1402
開催日程:1906年03月15日(明治39年)~1906年05月31日(明治39年)
開催地:大阪府
会場:天王寺公園
主催:大阪実業協会
入場者:0人

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【資料件数:10件】

主催者:大阪実業協会としたのは、管理コード:1402/24-2[103] 大阪実業協会副会長・土井通夫から永井清治郎に送られた戦捷記念博覧会の委員嘱託状による。日本初の観覧車は1907(明治40)年、東京・上野の勧業博覧会会場でというのが通説だったが、その前年五月大阪・天王寺の戦勝記念博覧会場に第一号が登場していたことが、観覧車の歴史を調べている福井優子氏の調査で判明。上野の観覧車は、ごく最近まで百科事典や各種の本で「日本初」と紹介され続け、夏目漱石の「虞美人草」などにも出てくる。大阪の観覧車が記録されていたのは、大阪朝日新聞と大阪毎日新聞。それによると当時は「展望観覧車」と呼ばれ、美術館横の丘に設置された。蒸気機関で動き、六人乗りのゴンドラ十四個が約五分で一回転した。そばでは楽隊が演奏をし、景気づけをしていた。福井氏は通信社勤務の傍ら、米国のノーマン・アンダーソンの「観覧車とその歴史」を翻訳するうち、日本での歴史を調べ始めた。明治の編集者、石井研堂が「明治事物起原」で大阪の観覧車に触れているのに注目、国会図書館のマイクロフィルムで記事を発見した。同様の記事は、東京の新聞にはなかった。大阪の観覧車が歴史から消えてしまったことについて福井氏は「同時期に東京で開かれた日露戦争の凱旋(がいせん)記念式典に注目が集まりすぎてしまったことと、東西の対抗意識から、東京のメディアが大阪の博覧会を黙殺したのではないか」と話す。「日本の遊園地」などの著作があり博覧会に詳しい橋爪紳也・大阪市立大学助教授は「指摘を受け、戦勝記念博の絵はがきを見たら、確かに写っている。東京のものが当時から『第一号』と宣伝され、現在まで定説になってしまったようだ」と話している。[徳島新聞・2001年11月7日より引用] その後、2020年7月に丹波市円通寺の二曲の屏風の下張り(骨から3層目)として使用されていた明治39年4月1日と明治39年4月2日「大阪新報」に観覧車が載っている記念博覧会雑観が発見された。

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