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パナマ・太平洋万国博覧会

パナマ・太平洋万国博覧会

管理コード:1324
開催日程:1915年02月20日(大正4年)~1915年12月04日(大正4年)
開催地:海外
会場:サンフランシスコ(アメリカ)
主催:
入場者:18,876,438人

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【資料件数:25件】

第一次大戦の最中にただひとつだけ開かれた万国博覧会である。大戦によって開催が危ぶまれたが、場所がヨーロッパから遠く離れ、しかもアメリカ大陸の西岸であったことも幸いした。開催主旨はパナマ運河の開通と太平洋発見400年を記念してとしたが、1906年の大震災で壊滅したサンフランシスコの復興を示そうという目的もあった。会場はサンフランシスコの北海岸沿いの一帯で、敷地は東西2・7キロ、南北約1キロの広がりをもっていた。会場全体はルネッサン風に統一され、これに華麗なスペイン風のゴッシック建築が配され、全体の色調がオールド・アイボリーとし、それに8色を配合してカラフルな感じを演出した。これに会場敷地の気候を利用して、さまざまな花や植木が植えられ、「海辺のパステル・シティ」と呼ばれた。陳列館の配列には特に意を用い、いわゆるブロック・システムという方法をとった。長さ120メートル、幅450メートル、高さ20メートルの空間を建築区域とし、幅約40メートルの道路を通し、さらに3本の道路を横に走らせて全体を8等分した。ここへ美術館以下10館、総面積76・951坪の建築物をたてた。一方、ゴールデン・ゲート(金門橋)もこの博覧会を機に築造された。大戦勃発のため、正式に参加したのは25カ国であった。そのうち特設館を建てたのは11カ国であった。日本政府館は京都の金閣寺をモデルにした建物としたが、装飾は鎌倉末期より豊臣初期の様式であった。また別に平安朝風の特別陳列館も建てた。出品物の陳列と一部は鉄道案内所とした。庭園は政府館の横につくられたが、現代趣味を加えた純日本式で、南端の高地に滝口をつくって、館の北側に流して池泉とした。またほかに、日本協賛会社による興行場がつくられた。入り口大門上には巨大な鎌倉の大仏の模型を置き、内には各種の売店もつくられた。大仏は櫛引弓人という国際興行師が企画したものである。会期中にはジャパン・デーを開き、日本気分を盛り上げた。会期が大戦中のこととて入場者も1883万2743人にとどまったが、収支においては黒字となった。またこれまでのように、工業や科学を強調しなかった点で、アメリカの博覧会はじめての計画であった。博覧会史上、最初のPR映画も上映され、芸術やスポーツなど文化的色彩の濃いものであった。●「フォード社が組立ラインを出品、「T型」を生産、リーバイスが作業員25人を派遣して、デニムの子供服「カバーキール」を製品実験、博覧会のPRに映画を利用、など」

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