家庭博覧会

管理コード:1320
開催日程:1915年05月01日(大正4年)~1915年06月26日(大正4年)
開催地:東京都
会場:上野公園(不忍池畔 商品陳列館)
主催:国民新聞社
入場者:0人
1915(大正4)年5月1日から6月下旬まで、現在の「東京新聞」の前身であった国民新聞社が創刊25年目の記念として「家庭博覧会」の開催を決定した。家庭博覧会とは、文字通り「家庭」をテーマとした博覧会のことである。今日、「家庭」を博覧会や展覧会のテーマとして取り上げることは何ら珍しいことではないが、当時としては極めて画期的な出来事だった。明治以降、富国強兵・殖産興業のスローガンのもとで歩み出したわが国では、殖産興業を推し進める政策として政府主導により内国勧業博覧会が行われた。この内国勧業博覧会とは、いわば1851年にロンドンで初めて開催された万国博覧会の国内版であり、内容的には全国の物産展示会で、県単位に出品された多くの工芸品が一同に展示され、それに優劣を付けることで技量を競わせたのである。1902年(明治35)年に行われた第5回を最後に終了するが、このような素朴で競争心を煽るものであったにもかかわらず、産業技術の発展には大いに寄与する政策でもあったようである。この内国勧業博覧会に端的に見られるように、明治期に行われた多くの様々な博覧会は産業発展策と結びついた国策的な意味のあるものとして企画され、そして、実践されていたのである。しかし、国家としての体裁が整い始めるにつれ、経済基盤の構築という国策の意味合いが次第に薄れ、代わって一般の人々を対象とした思想の啓蒙を目的とする多種多様な博覧会・展覧会へと移行していくことになる。この家庭博覧会は名称そのものが示しているように、それまで「国家」という体面をかたちづくるために行われてきた博覧会のなかで顧みられることのなかった「家庭」をテーマとした極めて斬新なものであった。ただ、この「家庭」が個人の主体を認めた家庭であったのか、あるいは、国家を支える細胞としての家庭であったのかの吟味が求められようが、いずれにしても、新しい時代の到来を告げる博覧会であったといえる。さて、この家庭博覧会は、明治以降の洋風化政策の浸透による和洋の混在した煩雑な家庭生活を、今後どうすればいいのかを問い、そのためにまず、現実の生活を直視し、そこから模範的な家庭のあり方を見つけることを目的に開催されている。興味深いのは、論理的にあるべき方向性を示すというのではなく、展示された「モノ」を通して考えようという姿勢が貫かれていたことである。そこには、和と洋の混在の様相が「モノ」の氾濫として捉えられ、それ故、それらの「モノ」を整理し、便利な「モノ」をうまく取り入れることにより家庭生活の改善ができるという考えが根底にあったように思える。この考えこそ、今日に続くこの時代の特性を表していたといえる。様々な問題を「モノ」で解決しようとする現代の消費社会との連続性が垣間見られるからである。さて、国民新聞社では家庭博覧会の開催を3月11日に発表し、18日にはその出品者の募集をしている。わが国の創作童話の創始者といわれる巌谷小波(1870-1933)は、家庭博覧会の主催者側のスタッフとして台所改良を例にして新聞紙上で「実用に適し且つ経済向きのものを選ぶに在つて例えば同じ瓦斯に関するものを陳列するにも其効用よりは瓦斯の勝手道具を並べて其使用法を示すのもいい、料理なども種々模型を陳列し、時には実物応用で説明したならば益するところが多」いとし、「モノ」の展示の効用を述べている。ここでも論理的・啓蒙的な目的というよりは、「モノ」へのまなざしが語られていることがわかる。それは、当時のモノの氾濫した日常生活の様子が反映されていたのである。このように、衣食住に関するものを揃えて比較検討しようという現実的でわかりやすいアプローチが功を奏して、博覧会の反響は思いのほかよかった。加えて、主催者側が、主婦と子供に注目し、会場内を遊園地のように、現代風にいえばテーマパークとして、娯楽性を持たせようとしたことも成功の理由であった。(中略)一方、出展者の多くは、家庭博覧会は商品宣伝の良い機会と捉えていた。その意味では、家庭博覧会を皮切りに、新しい時代にふさわしい新たなる家庭の追求は、近代という時代では避けることのできない商品化の流れとともに展開されたともいえるし、自動的に「家庭生活の商品化」も始まったのである。[内田青蔵著・「間取り」で楽しむ住宅読本・光文社新書より]
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