NOMURA

博覧会資料COLLECTION

平和記念東京博覧会

平和記念東京博覧会

管理コード:1232
開催日程:1922年03月10日(大正11年)~1922年07月31日(大正11年)
開催地:東京都
会場:上野公園(全体 博物館東側)
主催:東京府
入場者:11,032,584人

この博覧会に関連する資料を見る
【資料件数:418件】

欧州大戦よる好景気で、国内産業は成長し、時代は大正デモクラシー華やかな時期で、平和を祝福する博覧会を開こうするムードとなり開催された。一部ではこれを契機に万国博覧会を開こうとする声さえあったが、これは諸般の準備において時期熟せず、来るべき万国博覧会まで待機するということになった。上野公園の第1会場には2階建ての平和館、製作工業館、染織館、化学工業館、衛生館、美術館、食料水産館、農業館、電氣館などがセセッション思潮のデザインで建ち並んだ。第2会場には平和搭、電氣工業館、航空交通館、外国本館、動力機械館、林業鉱業館が建ち、第1、第2会場の建物総面積は5万平方メートル余に及んだ。このほか外国から朝鮮、台湾、樺太、南洋統治などの出品展示があり、出品点数141.016点に達した。当時の風潮としては明治の富国強兵、近代国家建設のためという目的意識と違い、個人と国家がクローズアップされた時で、一等国としての、文化国家日本のイメージがこの博覧会の特徴であった。入場者も11.032.584人と超抜の数字を示したが、差引き896.855円の赤字となった。[以下「間取り」で楽しむ住宅読本・内田青蔵著・光文社新書より]この文化村とは、わが国の近代住宅史上忘れることができない出来事で、この文化村の開催を契機に「文化住宅」という言葉が生まれ、一世を風靡することになる。(中略)文化村とは、1922年の4月から7月まで東京府が第一次世界大戦終結による世界平和の到来を記念して行った平和記念東京博覧会の会場の中に設けられた実物住宅展示場のことである。(中略)こうした住むためではなく、人々に見せるために建てられた住宅--住宅展示場--がいつ頃からお目見えしたのかといえば、実は、十数棟というまとまった規模の本格的な実物住宅展示場は、この文化村が初めてのことだった。そして、この文化村の設立の経緯を述べれば、アカデミズムの中心であった建築学会が平和記念東京博覧会を主催した東京府の出展協力の依頼を受けた際、積極的にその必要性を説いて実現したのである。(中略)実物展示の実施にあたっては、建築学会では学会員に向けて出展者を募った。ただ、出展の際の実費は出展者の負担であった。そのため、出展者の経費負担のリスクを軽減するために、出展住宅の販売も可能として行われたのである。それは、販売目的のモデルハウスの展示会という側面も同時に備えたものといえ、まさしく、「住まいが商品化したこと」をも意味していた。この文化村の出現は、借家住まいの伝統のなかで、住まいが「借家というレンタル商品」から「所有する商品」へと移行する始まりを告げる象徴的な出来事であった。文化村には、結果的には14棟の住宅が出展された。

検索結果一覧へ戻る

博覧会検索

博覧会資料検索

資料の閲覧・貸し出しを受け付けています。(事前予約制/平日のみ)
貸し出し依頼は、博物館等の公共機関のみに限ってお受けしています。
閲覧・貸し出しをご希望の場合は事前に以下まで連絡をお願いします。

株式会社乃村工藝社 情報資料室
TEL 06-6649-3331 FAX 06-6649-3335
<資料閲覧場所>
大阪市浪速区難波中2丁目10番70号 パークスタワー19階
株式会社乃村工藝社 大阪事業所

博覧会資料に関するお問い合わせ

公開している資料の年代は明治から平成に至る広範なものです。博覧会の主催団体の解散もあり著作権の確認が行えないものが大多数です。著作権の所有に関してご一報いただければ幸いです。

博覧会・博覧会資料検索に戻る