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新卒採用

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動画で知る乃村工藝社

10分で理解!乃村工藝社の会社説明動画です。

募集要項

  • 営業職
  • プランニング職
  • デザイン職
  • ディレクター職

営業職

お客さまの事業の発展・繁栄に寄与する存在となるための窓口となります。お客さまのニーズを把握し、社内のチームを組んで納期や予算を考慮しながらプロジェクトを推進する。新たな顧客の開発も行う。

募集対象

新卒採用の応募については、下記3つの条件を満たしていましたらご応募いただけます。
①入社時点で30歳以下
②入社時点で社会人経験3年以下
③該当年度の4月1日に入社が可能であること

募集学科・専攻

専攻学部不問

雇用形態

正社員 (試用期間3か月)

勤務地

初任地 東京または大阪  *その後各拠点に転勤する可能性あり

本社(東京)
東京都港区台場2丁目3番4号

大阪事業所(大阪)
大阪府大阪市浪速区難波中2丁目10番70号
パークスタワー19階

給与

勤務地によって初任給が異なります。詳細はマイページをご確認ください

賞与

年2回(6月、12月)

勤務時間

午前9時00分~午後5時30分  *フレックスタイム制あり(試用期間3か月は対象外)

諸手当

通勤手当、在宅勤務手当、超過勤務手当、住宅手当 など

休日休暇

【休日】 完全週休2日、祝日、年末年始
【休暇】 有給休暇(入社初年度10日、以後毎年2日加算、最高20日まで)
      リフレッシュ、慶弔、転勤、産前産後、育児、介護、公傷、ボランティア休暇 など

福利厚生

【制度】 各種社会保険、退職金、企業年金、共済会、確定拠出年金制度、テレワーク勤務制度、フレックスタイム勤務制度、育児・介護短時間勤務制度、従業員持株会、社内レクリエーション各種クラブ活動 など
【施設】 男女独身寮、転勤者社宅、契約保養施設 など

労働組合

あり

プランニング職

企画構想のスペシャリスト。大規模物件や難易度の高いプロジェクトの企画制作において、各種調査・分析、それに基づく事業提案や企画提案、詳細プランなどをつくり、企画の構想から実現までさまざまなフェーズで関わるキーパーソン。仮想から現実まで空間を幅広く捉え、都市計画からデジタルコンテンツまで構想できる多様性のある職種。

募集対象

新卒採用の応募については、下記3つの条件を満たしていましたらご応募いただけます。
①入社時点で30歳以下
②入社時点で 社会人経験3年以下
③該当年度の4月1日に入社が可能であること

募集学科・専攻

専攻学部不問

雇用形態

正社員 (試用期間3か月)

勤務地

初任地 東京または大阪  *その後各拠点に転勤する可能性あり

本社(東京)
東京都港区台場2丁目3番4号

大阪事業所(大阪)
大阪府大阪市浪速区難波中2丁目10番70号
パークスタワー19階

給与

勤務地によって初任給が異なります。詳細はマイページをご確認ください

賞与

年2回(6月、12月)

勤務時間

午前9時00分~午後5時30分  *フレックスタイム制あり(試用期間3か月は対象外)

諸手当

通勤手当、在宅勤務手当、超過勤務手当、住宅手当 など

休日休暇

【休日】 完全週休2日、祝日、年末年始
【休暇】 有給休暇(入社初年度10日、以後毎年2日加算、最高20日まで)
      リフレッシュ、慶弔、転勤、産前産後、育児、介護、公傷、ボランティア休暇 など

福利厚生

【制度】 各種社会保険、退職金、企業年金、共済会、確定拠出年金制度、テレワーク勤務制度、フレックスタイム勤務制度、育児・介護短時間勤務制度、従業員持株会、社内レクリエーション各種クラブ活動 など
【施設】 男女独身寮、転勤者社宅、契約保養施設 など

労働組合

あり

デザイン職

調査・企画の段階から参入し、お客さまの事業テーマ・要望・課題・予算・工程・社会的ニーズも踏まえつつ、質の高い設計・デザインワークを行う。デジタルデバイスを用いた仮想から現実までの複合的な空間演出デザインも含まれる。

募集対象

新卒採用の応募については、下記3つの条件を満たしていましたらご応募いただけます。
①入社時点で30歳以下
②入社時点で 社会人経験3年以下
③該当年度の4月1日に入社が可能であること

募集学科・専攻

空間、立体、造形、グラフィック、メディア系デザイン、建築・都市計画 専攻
*デジタルデバイスを用いた仮想から現実までの複合的な空間演出デザイン・設計なども含む

雇用形態

正社員 (試用期間3か月)

勤務地

初任地 東京または大阪  *その後各拠点に転勤する可能性あり

本社(東京)
東京都港区台場2丁目3番4号

大阪事業所(大阪)
大阪府大阪市浪速区難波中2丁目10番70号
パークスタワー19階

給与

勤務地によって初任給が異なります。詳細はマイページをご確認ください

賞与

年2回(6月、12月)

勤務時間

午前9時00分~午後5時30分  *フレックスタイム制あり(試用期間3か月は対象外)

諸手当

通勤手当、在宅勤務手当、超過勤務手当、住宅手当 など

休日休暇

【休日】 完全週休2日、祝日、年末年始
【休暇】 有給休暇(入社初年度10日、以後毎年2日加算、最高20日まで)
      リフレッシュ、慶弔、転勤、産前産後、育児、介護、公傷、ボランティア休暇 など

福利厚生

【制度】 各種社会保険、退職金、企業年金、共済会、確定拠出年金制度、テレワーク勤務制度、フレックスタイム勤務制度、育児・介護短時間勤務制度、従業員持株会、社内レクリエーション各種クラブ活動 など
【施設】 男女独身寮、転勤者社宅、契約保養施設 など

労働組合

あり

ディレクター職

プロダクト(制作管理) お客さまやデザイナーが描いたデザインを、実際に“空間”として具現化する。安全・品質・予算・工程管理などさまざまな視点から、ものづくりを統括する。デジタル/メカニカルな技術的領域における実装のためのディレクション業務も含まれる。

募集対象

新卒採用の応募については、下記3つの条件を満たしていましたらご応募いただけます。
①入社時点で30歳以下
②入社時点で 社会人経験3年以下
③該当年度の4月1日に入社が可能であること

募集学科・専攻

建築、土木、都市計画、情報システム、機械制御、特殊造形、設備系(空調/電気/衛生)推奨

雇用形態

正社員 (試用期間3か月)

勤務地

初任地 東京または大阪  *その後各拠点に転勤する可能性あり

本社(東京)
東京都港区台場2丁目3番4号

大阪事業所(大阪)
大阪府大阪市浪速区難波中2丁目10番70号
パークスタワー19階

給与

勤務地によって初任給が異なります。詳細はマイページをご確認ください

賞与

年2回(6月、12月)

勤務時間

午前9時00分~午後5時30分  *フレックスタイム制あり(試用期間3か月は対象外)

諸手当

通勤手当、在宅勤務手当、超過勤務手当、住宅手当 など

休日休暇

【休日】 完全週休2日、祝日、年末年始
【休暇】 有給休暇(入社初年度10日、以後毎年2日加算、最高20日まで)
      リフレッシュ、慶弔、転勤、産前産後、育児、介護、公傷、ボランティア休暇 など

福利厚生

【制度】 各種社会保険、退職金、企業年金、共済会、確定拠出年金制度、テレワーク勤務制度、フレックスタイム勤務制度、育児・介護短時間勤務制度、従業員持株会、社内レクリエーション各種クラブ活動 など
【施設】 男女独身寮、転勤者社宅、契約保養施設 など

労働組合

あり

採用担当紹介

今泉 まどか 
人財開発部 採用課 2016年入社今泉 まどか Madoka Imaizumi

好きを仕事に!

「空港という空間が好き」がきっかけで乃村工藝社に出会いました。様々な企業の中で、自分に合った会社を選ぶことは難しいかもしれません。そんな時は、「この会社好き!ときめく!」といったポイントでぜひ選んでみてください!皆さんとお会い出来る日を楽しみにしております!

杉野 佑樹
人財開発部 採用課 2019年入社杉野 佑樹Yuki Sugino

何事にも全力投球!

乃村の社員は全員仕事にも遊びにも常に全力で本気で向き合うのが特徴です。 「新卒で入社する会社は人生で1度しかない」だからこそ企業の採用担当である以前にいち社会人の先輩として皆さんと本気・本音で向き合いたいと思っています。 イベントや選考でお会いした際は乃村のこと、お互いのことぜひ本音で徹底的に理解できるまでお話ししましょう!

野口 優希
人財開発部 採用課 2022年入社野口 優希Yuki Noguchi

自分が主人公になれる会社!

とにかく「多様性」に溢れているのが乃村工藝社の魅力だと思います。個を大切に、人を大切にしている会社だからこそ、自分自身の色を出して輝ける環境が乃村工藝社にはあります。ぜひ、就職活動を通して自分の強みや好きなこと、やりたいことを見つけ、ご自身の叶えたい夢に向かって共に挑戦していきましょう!

薊 諒
人財開発部 採用課 2020年入社薊 諒Ryo Azami

社員の数だけ個性がある会社!

乃村工藝社の会社としての強みとしてはやはり「人」であると思います。会う人それぞれ個性的で、おせっかいとも言えるぐらい親しみやすい社員が多いのが特徴だと感じています。就活を通して様々な企業・人と交わるなかであなた自身の光る個性(可能性)を見つけてください。就活は楽しんだもん勝ちです!

Culture社風を知る

42年間勤務した会社の「ファン」として、社内外に歴史と魅力を伝えていく

42年間勤務した会社の「ファン」として、社内外に歴史と魅力を伝えていく

乃村工藝社のクリエイティビティを支えるライブラリアンとして活動してきた石川 敦子。情報データベースの構築や世の中に通じる乃村工藝社の新たな価値をつくることに尽力、会社へのファンづくりを目指し、社の歴史を伝える‟語りべ”としても活躍中。入社以来一貫して持ち続けた未来を見据えた仕事への価値観を語ります。 アルバイトから社員へ。「会社らしくない会社」が魅力的だった乃村工藝社 大阪事業所の人事総務本部ナレッジサポートルームに所属。情報資料室にて42年間勤務し、2023年3月に退社した石川。今は外部協力スタッフという立場で、引き続き博覧会に関する資料の寄贈受入れ、再整理、管理などの業務を担っています。石川  「乃村工藝社との出会いは偶然でした。当時私は大学生で、図書館司書になるための勉強をゼミで専攻していたんです。そんな折に、大学の友人から『司書を目指している人をアルバイトとして探している会社があるから、やってみないか』と声をかけられたのが出会いでした」任されたのは、床に広げられた7~8,000冊の資料を、空っぽの本棚に納めていく仕事でした。 石川  「建築やデザイン分野の書籍が大半で、驚いたのを覚えています。ジャンルに偏りがある上に洋書も多かったので、公共図書館で使われている日本十進分類法というカテゴライズでは本をうまく分類できず、室長と相談しながら独自の分類を決めていきました」冬休みになると、再度アルバイトのオファーが。その時、同室の女性社員から「もし就職先が決まっていなければ乃村工藝社に来ない?」と声をかけられたことが、石川の就職のきっかけとなりました。石川 「会社の雰囲気や社員の方々の人柄に惹かれていたこともあり、そのまま入社を決めました。でも、当時の私は乃村工藝社という会社についてほとんど知らなかったんです。1970年にあった日本万国博覧会(大阪万博)を12歳で経験し、圧倒的な感動を受けていたのに、まさか乃村工藝社がそのパビリオン展示を手がけていたとは……。内装やデザインなどの業務内容にも、まったく知識がありませんでした」とはいえ、業務内容を深く理解していなくとも、乃村工藝社に漠然とした魅力を感じていた、とも。石川  「思い返せば、当時の乃村工藝社は、良い意味で‟会社らしくない会社”でした。とても会社員とは思えないような雰囲気の人たちが、熱意をもって働いていて、こんな世界があったのかと衝撃を受けました。大学を出たばかりの若い自分であっても、フラットに話を聞いてもらえる環境は、当時にしてはかなりめずらしかったのではないかと思います。勉強しながら何とか仕事を覚えていく日々の中で、私の意識にスイッチを入れてもらえる出来事がありました。ある時、情報資料室に入ってきた社員が『ポンピドゥー・センターが載っている本はどこにある?』って、一言おっしゃられたんですね。その時、私の隣にいた大先輩が、何列目の棚の何段目に入っている本の、大体真ん中ぐらいのページに載っている、と即答したんですよ。あの時、自分もこういうふうになりたい、ならないといけないと強く思いましたね」 オリジナルコンテンツ「博覧会資料COLLECTION」を制作▲  2023年1月に開設された「EXPO GALLERY」(※予約制)業務の中で一番大事な役割は「レファレンス」だという石川。資料室に来る社員から質問を受け、2万冊の書籍の中から最適な資料を案内してきました。同時に、大阪事業所内での成果物を写した竣工写真を収集。大阪事業所内の誰もが便利に閲覧できるよう、環境を整えました。石井  「そんなある日、竣工写真の収集について、チーフデザイナーから『君の仕事は中途半端だ』と言われたんです。いわく、『大阪事業所の中の仕事は、担当者に直接聞けば分かる。それよりも東京本社が何をしているか、支店が何をしているか、それを知りたいんだ』と。ニーズに気づかされて、東京本社や各支店との情報交換に着手しました」 しばらくしてインターネットを使える時代が来ると、竣工写真をデジタルで管理し、社内ネット回線で公開すると同時に石川は、これまでの書籍台帳をデータベース化し、検索しやすい仕組みを整備していきました。次第に、「大阪の石川さんにお問い合わせすれば、答えが返ってくる」と言ってもらえるようになってきたと言います。石川  「けれども、私たちみたいな間接部門、つまり直接利益を生まない部門は、必要性を理解してもらうことが難しいと感じていました。『あの部署はいらないんじゃないか』など否定的に思われない部署になるためにはどうしたらいいのかを自分なりに考えるようになりました」 情報資料室の存在価値を高めたい、と考えた末に石川がたどり着いたのは、乃村工藝社にしかないオリジナルコンテンツをつくろうという決意でした。石川 「1992年に、当社は100周年の社史『ディスプレイ100年の旅』を出版しました。その社史室が、たまたま大阪事業所の資料室の一部にあったんです。私は、傍らからその制作の様子を見ていました。100年史出版後、社史の担当者から『外部監修の寺下 勍(てらした つよし)さんという方がいて、実は40年間にわたって日本有数の博覧会資料を集め保管している方なんだ』と教わり『仕事が一段落したら、資料を一度見せてもらいに行きなさい』とも言われました。私は、これだとピンときたんですよ。博覧会の資料は、社業の根幹にも関わるもの。まさしくオリジナルコンテンツとして整えていくべきものだと思って、上司と一緒に資料を見せていただくに至りました」寺下さんの貴重な資料の数々を目の当たりにし、石川はいたく感激。覚書を交わし、2tトラック2台分の量もあるそのコレクションを博覧会資料として乃村工藝社へと寄贈いただけることが決まりました。これが当社オリジナルのコンテンツ「博覧会資料COLLECTION」のはじまりです。石川 「コレクションは膨大な量がありましたから、整理をしていくのは本当に大変でした。資料の目録は寺下さんの頭の中だけにあったので、まずは全容を理解するところからスタート。公式記録、写真帳、絵葉書にメダル。分類していくにも、全ての資料を一度確認してからでないと、そもそも、カテゴリーを決められません。そこで、全てを確認してからデータベースをつくりはじめました。完成した時に初めて分かったのは、全部で1万点弱もあったということでした。寄贈いただく際に寺下さんから出された唯一の条件は、資料をしっかり世の中に役立ててね、ということ。だからこそ、利便性の高いデータベースとして管理し、社内外からアクセスできるかたちで公開しようと心に決めていました。最終的には寺下さんから『自分ではこれはできなかった。あなたのところへ寄贈してよかった』とのありがたいお言葉をいただくことができました」(参考:ノムログ「バトンタッチしうるモノ -国内博・万博と博覧会資料COLLECTION-」 コレクションを散逸させず、後世にしっかりバトンタッチしていきたい博覧会資料を整備したことは、石川のキャリアにとって、とても大きいことでした。石川  「『博覧会資料COLLECTION』を公開したところ、外部からのお問い合わせがどんどん増えたんです。国内外の研究者からは資料を見たいという問い合わせが来ますし、メディアからは画像提供依頼の連絡を受けるようになりました。情報資料室は、いち企業内図書室としての機能を超え、社外窓口のひとつのように変化し、私自身、関わる仕事が大きくスケールアップした感覚があったことを覚えています」寺下さんが40年間にわたって集めたコレクションの数々。世の中に役立て続けるというミッションを胸に、石川は、これからもひたむきに仕事に取り組みます。石川  「2025年の万博メンバーの1人に、印象的な言葉をもらいました。それは『未来は変えられるけれど、過去は変えられない。博覧会資料をこれだけちゃんと蓄積したという過去は、もう変わることはないんだ』と。仮に、同業他社が似たようなことをしたいと思ってもゼロから始めるしかない中、当社にはすでに20年ほどの蓄積があるのです。大きな強みですよね。今の社員の方、特に若い人たちは、博覧会や万博のことをご存知ない方もたくさんいると思います。まずはこの資料を見て、自分が所属する乃村工藝社という会社のことをもっと知ってほしい。そして、会社のことを自慢に思ってもらえたらうれしいです。コレクションを散逸させず、後世にしっかりバトンタッチしていきたいと思っています」  勤続42年。交わした言葉や人とのつながりが、大事な宝物▲ イベント学会研究大会での発表(2010年)社外の人と接する機会が増えてきたことで、石川は、学芸員資格を取ろうと決意。50歳を超えていたタイミングで、資格を取得しました。2012年、乃村工藝社120周年の時には社史編纂部に入り、さらに会社の歴史を深く知ることに。以降、人事・総務部門から依頼を受け、中途採用の社員や外部役員などに定期的に乃村工藝社の歴史を語っています。目指すのは「乃村工藝社のファンづくり」です。石川  「42年間、乃村工藝社と関わってきました。そして、いつの間にか私自身が乃村工藝社のファンになっていました。創業者の乃村 泰資さんは、無理難題を言われても決して『できません』とは言わない人間でした。『こういうかたちでなら実現できそう』と、常に代案を出していたと言います。私が入社したころの4代目社長・蟻田 栄一さんも、経営者というよりデザイナーに近いような、すごくクリエイティブな方だったように思うのです。そういった、好奇心旺盛な歴代社長たちの人柄を、今も魅力的に感じています。そんな社長の人間性が、会社全体にも広がっていると思います。今いる社員たちの方々は、どんなに難しい状況も果敢に切り抜け、絶対にやりきる人ばかり。みんなが『乃村工藝社レベル』の仕事を追求しているのを感じます。 私は資料室に長く務め、数多くの人とお会いしてきました。交わした言葉やそのつながりは、人生の宝物です。『ありがとう』『助かった』などの言葉は何よりの励ましになりました。 万博研究会に参加したのを機に、2万字にも及ぶ論文執筆依頼に挑戦したのも、私にとっては予想以上の展開でした。ありがたい限りです。 アルバイトとして入った当初に比べて、乃村工藝社はずいぶん会社らしい会社になりました。でも、一人ひとりにすごく個性があり、それが尊重されているところはずっと変わりません。これからも乃村工藝社の1ファンとして、誇りを胸に働いてまいります」振り返ってみればひょんな縁で乃村工藝社に入った石川。目の前の課題に誠心誠意取り組んできた今、人生が鮮やかに彩られてきたのを感じています。※ 記載内容は2023年12月時点のものです

生み出した発想が商品になる。心の変化を生む「顧客体験」を大切にするデザイナーの信念

生み出した発想が商品になる。心の変化を生む「顧客体験」を大切にするデザイナーの信念

ホテル市場を中心に担当し、ルームチーフを務める井上 裕史。利用者の心の変化を生むような「体験」を第一に考えるデザインが、顧客の心を掴んでいます。デザイナーでありながら家業の神職なども務め、自身の経験を個性として仕事に活かす井上が大切にしている価値観にせまります。 最初に考えるのは「体験」。体験を作り、デザインへと昇華させるクリエイティブ本部 第一デザインセンター デザイン4部に所属する井上。2007年に入社し、2017年からはホテルや地域活性化のプロジェクトを主に担当しています。井上  「ストーリー性や顧客体験を重要視するホテル事業者と仕事をすることが多いです。例えば、星野リゾート様は『界 加賀』から仕事をスタートし、OMOブランドの1号店となるOMO7 旭川も担当しました。2021年には株式会社ARTH様のお仕事で、伊豆にある古民家を『LOQUAT西伊豆』というオーベルジュ(宿泊施設を備えたレストラン)にコンバージョンするお手伝いもしました」ホテルのデザインは、まず「顧客体験」を考えることが井上のこだわり。井上  「空間デザインだけの魅力で集客をすることは、なかなか難しいことです。私自身が宿泊するときも、内装よりもさまざまな体験やスタッフと話せた回数で満足感を得ています。『OMO7旭川 by 星野リゾート』を担当したときはスタッフとお客さまがつながれるような体験を考え、それを空間にしました。ご当地のウェルカムドリンクでおもてなしできる北海道土産の定番である木彫りの熊のような蛇口を作るなど、空間の中で体験につながるような仕掛けを入れていくことで、滞在自体が豊かになり満足度が高まると考えています」思考の起点は井上自身の体験です。自分の感覚を信じ、顧客体験を組み立てています。井上  「ホテルではペルソナ(典型的なユーザー像)を設定し、例えば『30代のカップルが泊まるだろう、その人はこんな趣味があって……』といった想定をしますが、その通りの人だけが来るわけではありません。ペルソナと実際に来る人はズレが生じると思っているので、それよりも、自分や家族が泊まって『楽しい』と思えるホテルは誰が泊まっても楽しいと感じるだろうなという考えを大切にしています」また現在、東京藝術大学で非常勤講師も務め、実家の岡山にある神社では神職にも携わっている井上。複合的な働き方を「おもしろい」と捉える社風の中、「会社員である以上に、生き方がデザイナーであるべき」という自身の考えを体現しています。井上  「年末年始などは岡山にある実家の神社に戻り、後継者として奉仕をさせてもらっています。2018年には神職の資格を取得するために1年間休職しました。当時の上司から『これからの社会は働き方も自由になるから、岡山でデザインをしながら神職に携わる、そんなデザイナーがいても良いと思うよ』と言ってもらったことを覚えています。デザイナー一人ひとりの生き方がそのまま仕事のアウトプットに直結し、自分の変わったキャリアを個性としておもしろがってくれる会社だと感じていますね」 「一緒にやろうよ」というデザイナーの言葉に心を動かされて入社学生時代は広島工業大学環境デザイン学科で建築を学び、東京藝術大学大学院ではデザインを専攻し、インテリアから都市デザインまで幅広く知識を習得。就職活動中は様々な業種の面接を受け、最終的に乃村工藝社へ入社した決め手は「面接官の言葉」でした。井上  「メインの面接官がデザイナー3人で、まちづくりに関する作品のプレゼンテーションを行った後、現在弊社のエグゼクティブクリエイティブディレクターである鈴木恵千代が『俺もこんなまちづくりやっているんだよ。一緒にやろうよ』と声をかけてくれました。一緒に働く仲間を本気で探している会社なのだなという印象を受け、デザイナーとして働くというイメージがついたので、入社を決めました」自分の作品作りの延長線上に乃村工藝社の仕事があるのだろうと直感した。2007年の入社後は企業文化系の案件を取り扱うCCカンパニー(CC:Creative Communicationの略)に配属されました。井上  「配属先では博物館、展示会、企業ショールームなどの情報を発信する施設づくりに携わっていました『情報をどう伝えるか』という思考での空間づくりを10年ほど行い、2016年にはジュニアローテーション制度で中部支店に異動。そこで商業系である星野リゾート様のプロジェクトを担当しました」最初に井上が担当した星野リゾートのプロジェクトは当時顧客満足度が伸び悩んでいた「界 加賀」の大浴場のリニューアル。企業文化系からキャリアをスタートした井上は、ほかのデザイナーとは異なる視点で提案を行いました。井上 「大浴場をいくら格好よくデザインしても顧客満足度は上がらない、というプレゼンテーションを行いました。顧客満足度はお客さまの会話がどう生まれるかで変わると思っており、『男湯はどうだった?』『この地域は九谷焼が有名なんだってね』など会話が自然と生まれる空間づくりが重要です。『今回は会話の数をいかに増やせるかという点に焦点をあて、私たちはデザインします』と提案したところ、『おもしろい企画書だ』と星野代表が大絶賛してくれたのです。それをきっかけに、いまも継続して星野リゾート様のプロジェクトを担当しています」 お客様の満足度を高めるための、ホテルデザインを提案▲ 「OMO7旭川 by 星野リゾート」多彩なプロジェクトに携わってきた中で、井上の心に強く残っているのが2018年の「OMO7旭川 by 星野リゾート」と2021年の「LOQUAT西伊豆」。OMO7旭川は「遊び心やユーモアでテンションが上がるおもてなしにあふれたホテル」がテーマとして出され、それに合わせて企画を提案しました。井上  「テンションの上げ方はさまざまなので、ホテルの各所に仕掛けを作る提案をしました。例えば、旭川は木の産地なので、チェックイン時にキットを受けとって木彫りのスプーンを作り、翌朝そのスプーンで朝食を食べる。すると、味がますますおいしく感じると思うのです。そのような仕掛けをたくさん作り、お客さまの満足度を高めたいという提案をしたところ、コンペで採用いただき、設計に入ることができました」苦労したのは「お客さまの要望の根っこをいかに想像して、答えを出すか」ということ。井上  「プロジェクトが進行する中で、ご担当者さまから『とくにレストランのデザインを変えたい。御社の提案はスープで例えるとコンソメスープです。私たちが作りたいのは豚汁です』とお話をいただきました。お客さまが思う豚汁とは何なのかを私たちなりに解釈し、いろいろなものを混ぜても空間のベースが変わらない、使い勝手が良い空間が求められていた答えなのだと気づき、デザインを大胆に変更しました。現在では私たちが残したデザインの余白で、スタッフがどんどんアイデアを出して楽しいホテルへと進化しているようです」「LOQUAT西伊豆」では古民家をコンバージョン。計画段階では「いかに完成形をイメージして説得できるか、という点が勝負の分かれ目でした」と振り返ります。井上  「今増えている古民家のホテルは、ほとんどが壁面を仕上げ直しています。しかし私は、尊敬する岡田工務店の岡田さんから『いかに建物の記憶を残すか。ちょっとでも残せるところを残す工夫をすべきだ』というお話を伺ってから、『一見、綺麗に見えない意匠でも、この記憶を少しでも残すことがお客さまの滞在満足度につながり、且つスタッフがお客さまに話せる話題の種になります』と言い続けました。代表やスタッフからは『汚れているように見えるといけないから土壁を全部塗り替えてほしい』と要望を受けましたが、塗ったら商品価値が失われてしまうことを伝え続け、最終的に納得してもらいました。結果としてスタッフとお客さまとのコミュニケーションも増え、ほかの古民家との差別化が図られる形に。今やリピーターも絶えず、予約がとりにくい人気宿となっています」 体験を重視する考え方をベースに、多業種で経験を活かす文化施設、企業系のショールームや展示会、商業系ホテルなど、複数の市場を横断し、経験を積んできた井上。今後はその経験を活かし、業種を絞ることなく力を発揮します。井上  「これをやりたい、というわけではなく、どのような仕事が来ても問題を解くのが楽しいと思っています。今はシニア向けのレジデンスの設計や地方の遊休地の活用などにも携わっており、培ってきたノウハウを用いて社会貢献をすることが目標です。例えば、シニア向けのレジデンスであれば、街に出かける仕掛けを作ることで、歩く機会を増やして健康寿命が伸びることも期待できます。ジャンル問わずノウハウをうまく社会に貢献できるようにすることは、ルームチーフとしても意識している点です」井上はクリエイティブ本部の新入社員研修も監修。発想力を鍛えると、仕事自体が楽しくなってくると話します。井上  「『コーヒーを飲む場所をデザインして欲しい』という仕事を依頼されたとき、何も考えずに作ると今好調な大手コーヒーチェーンのような雰囲気の良いデザインになると思います。でも、ここで大切なのは『本当においしいコーヒーだと感じる瞬間とはどういう状況なのか』という根っこを考えること。それはとても寒い日に外で飲むコーヒーかもしれないし、子どもが淹れてくれたインスタントコーヒーかもしれません。根っこまで考えると、大手コーヒーチェーンのようなデザインにはならないはずなのです。そういった人工知能では導けないアンサーをデザイナー自身が自分の気持ちから生み出すことができなければ、近い将来、デザイナーの仕事は完全になくなると思います。でも、自分の気持ちから出た発想やマインドによって生まれたものは、否定のしようがなく、共感してくれる人がきっといるはず。生み出した発想がそのまま商品になるので、『私も体験したい』『行きたい』と思われる発想ができることが、デザイナーの責務です」目に見える部分だけでなく、その背景にあるストーリーなどを重視してデザインしている井上。「発想力=商品力」を武器に、ほかとは一線を画すデザインを生み出し続けます。 ※ 記載内容は2023年12月時点のものです 

事業の幅広さが成長の支えに。バリューアップ領域で広がる女性管理職としてのキャリア

事業の幅広さが成長の支えに。バリューアップ領域で広がる女性管理職としてのキャリア

ディレクター職として制作管理を担う酒井 麻衣。商業施設、ホテル、イベントなど多様な現場経験を経て、現在は主にオフィスビルのバリューアップ領域で活躍しています。課長としてマネジメントに携わるほか、採用活動や人財育成プロジェクトにも参加してきた酒井が、ディレクターとして、女性管理職として目指す姿とは。 オフィスビルの価値の最大化に向け、バリューアップに従事酒井が所属する営業推進本部 第五事業部プロダクト・ディレクション2部が手がけるのは、主にワークプレイスやビルバリューアップ市場。とりわけオフィスビルのバリューアップを得意としてきました。酒井  「ビルのバリューアップとは、エントランスなどの共用部をリニューアルすることで、建物に再び付加価値を与えること。市場として今後ますます成長が期待されていることから、当社としてもひとつの領域として注力しています。私の役割は、営業と一体となって新規顧客やプロジェクトを開拓することです。また、バリューアップ工事ではビルの稼働中に作業することが多いため、お客さまと協議しながら工事条件を詰めたり、 施工計画を組んだりすることも大切な仕事のひとつです」制作管理としてプロジェクトに参画する酒井。バリューアップを担うが故に心掛けていることがあると言います。酒井  「お客さまの多くは、ビルの所有者や運営会社の方々です。入居テナントの皆さんに迷惑がかからないよう、安全で円滑な工事を実現するために細心の注意を払っています。また近年は、優れた機能と環境性能を兼ね備えた素材、エコマテリアルへのニーズが高まってきました。乃村工藝社のソーシャルグッド活動においても『環境』がキーワードになっていることもあり、建物の価値向上のため、そうした素材を積極的に提案するようにしています」酒井が同部署に着任したのは2022年。2023年12月現在は、課長として6名のメンバーを束ねています。酒井  「各プロジェクトのメンバーへの割り振りや進捗管理、メンバーのフォローアップ等が課長としての主な業務です。 プロジェクトごとに週1回の進捗確認会を実施して困り事を聞いたり助言したり。初期フェーズではお客さまとの打ち合わせに参加してプロジェクトの道筋を示すこともありますし、中間検査など重要なタイミングで現場に出ることもあります。また、自分が推進を担当しているプロジェクトもあり、プレイングマネージャーのような動き方をしています」一方で、酒井は部署以外の業務にも携わってきました。酒井  「少し前からディレクター職の新卒採用の面接を担当しています。また、制作管理の人財育成プロジェクトのメンバーにもなっていて、教育方法を検討したり適材適所の人員配置を考えたりする活動などにも参加しています」 多様な経験ができる場を求め乃村工藝社へ。プロジェクトの推進役を務めたことが転機に▲ チームメンバーとのミーティング大学院で建築を専攻し、都市計画を学んだ酒井。研究室のプロジェクトで、とある集落の古民家改修に携わったことがきっかけで、制作管理を志すようになりました。酒井  「古民家改修に当たって、職人の手配やスケジュール調整、お金の管理などを担当しました。集落や職人の方々とコミュニケーションするのがとても楽しくて、自分にはデザインや設計よりも、プロジェクトを推進していく仕事が向いていると思うようになりました。自分たちの生活空間に突然押しかけてきた私たち学生を、集落の全員が歓迎してくださったわけではありません。さまざまなイベントを通じて対話を重ねながら、皆さんと良い関係を築いていく過程にやりがいを感じていました」ディスプレイ業界に的を絞って就職活動に挑んだ酒井が、最終的に選んだのが乃村工藝社。決め手は、同社が幅広い市場を手がけていたことでした。酒井  「当初から制作管理を希望していたのでゼネコンに進む道もありましたが、古民家の改修作業に関わる中で内装への関心が高まり、人に与える影響が大きい空間に携わりたいと考えていたんです。乃村工藝社と言えば業界最大手。さまざまな仕事が経験できる環境に惹かれ、入社を決めました」入社後、アパレルや飲食店などの商業施設、ホテル、イベント・展示会など、希望していた通り幅広い市場のさまざまなプロジェクトに携わってきた酒井。制作管理として確かな手ごたえを感じたプロジェクトがありました。酒井 「入社して5~6年目に、ビジネスパートナーや研究機関などとの連携を図る共創の場を目指した『Honda Innovation Lab Tokyo Roppongi』の改修プロジェクトにアサインされ、PM(プロジェクトマネージャー)の方と密に連携しながら推進に関わりました。構想の初期段階からプロジェクトに参画。施工の管理だけでなく、デザイナーや協力会社の方々とのコミュニケーションを含め、 全体を俯瞰する立場であらゆる工程に携わりました。ここでお客さまの同意を得て、次にこれをして、うまくいかないことがあれば軌道修正してという具合に、一つひとつ組み立てながらプロジェクトを進めていくプロセスがとても楽しくて。自分の適性を発揮できたと同時に、大きな成長を実感できる現場になりました」このプロジェクトでの成功を機に、酒井は複数のプロジェクトを掛け持ちしながら同様の立ち位置でチームをリードするように。持ち味を生かしながら、次第に存在感を示していきました。 9年目に課長に昇進。管理職となって見つけた新たなやりがい2021年に酒井は課長に昇進。当時の気持ちをこう振り返ります。酒井  「昇進を打診されたのは、仕事にも慣れ始め、次の刺激を求めていた時期。自分が課長になるとは想像もしていませんでしたが、新たな役割を与えられ、これまでとは違うことに挑戦する好機だと感じ、受けることにしました」管理職となって部下をマネジメントする立場となった酒井。仕事に新たな意義を見出します。酒井  「意識して雑談するなど、積極的にメンバーとのコミュニケーションを取るよう心掛けていました。本音を引き出すには、普段から話しやすい雰囲気づくりが必要だと思っていたからです。現場での振る舞い方や困りごと、苦手なことなどについて話してもらって、一つひとつ丁寧に自分なりに助言していきました。するとその後、助言を聞いたメンバーたちが、少しずつ出来なかったことが出来るようになっていったんです。彼ら・彼女らが何かをやり遂げたり成長したりする様子を見て、それまで経験したことのない喜びを感じたのを覚えています」酒井がこれまで管理職として一貫して大切にしてきたのが、メンバーの意思を尊重すること。それぞれがやりたいことに、最大限に配慮してきたと言います。酒井  「『このプロジェクトでは、こんなことを期待している』『今回、こういう点で成長できれば、次はこんなことに挑戦してもいいのでは?』と、メンバーが目指すキャリアに合った成長を見越しながら仕事を割り当てるようにしてきました。また、プロジェクトの内容についても詳しく説明して、納得感を持って取り組んでもらうことも大事にしています。以前、あるメンバーに少しハードルが高いと思えるような仕事を打診したところ、とても意欲的に楽しみながら取り組んでくれて。その結果、プロジェクトは成功し、そのメンバーの評価がぐんと高まったことがありました。全て思うようにアサインできているかと聞かれれば、決してそんなことはありませんが、少しずつ手ごたえを感じています」一方、酒井は社内の人財育成プロジェクトにも積極的に参加してきました。酒井  「例えば、2020年ごろに取り組んだのが、『2025年のPD(プロダクトディレクター)を考える会』です。今後の制作管理のあるべき姿を考え、それに向けて若い人材をどう育てていくかについて議論するものでした。いまはそうやって若手を育成していくことに大きなやりがいを感じています」 乃村工藝社だから広がる経験と人脈。いずれは制作管理の女性管理職のロールモデルに乃村工藝社では女性の活躍が着実に広がっている一方、制作管理を担う女性管理職の数はまだまだ少ないのが現状。そのような中、酒井は自らがロールモデルとなって女性の活躍を推進していきたいと意欲を見せます。酒井  「現場担当がいるので管理職が現場に行くことはあまりありませんが、何かアクシデントがあればもちろんすぐに駆けつけなくてはなりません。そんなとき、小さな子どもがいたら現場に急行というわけにはいかない……。工事は昼間とは限らないから、夜だとなおさら……。そんなふうに考えてしまいがちですが、子育てから手が離せないのは男性も同じ。もちろん、制作管理だけの問題でもありません。働き方に対する考え方が大きく変化しているいま、皆でフォローし合うなど、以前と比べてずいぶん融通が利かせやすい状況になってきているはずです。自分の今後のキャリア形成については模索中でまだ答えは出せていませんが、『管理職を目指したい』と思う女性が増えるよう、自分が先陣を切って模範を示していけたらと考えています」さまざまな市場の現場経験を糧にここまで成長してこられたのは、手がける事業領域が広い乃村工藝社だからこそ。同社で働く魅力に触れながら、未来の仲間に向けて酒井はこう呼びかけます。酒井  「担当する市場領域が変われば、そのたびにいちから学び直したり、知識を蓄え直したりしなければならないと思うかもしれませんが、決してそんなことはありません。ある市場で得た知識が別の市場にも役に立つなど、学びが連鎖していく感覚があり、常に成長を実感することができていました。また、 営業やデザイナーなど、市場領域が変われば一緒に働くメンバーも変わるため、社内の人脈が広がるメリットもあります。自分にはないスキルや考え方を持ったバラエティ豊かなメンバーがたくさんいて、チームが変わるたびに『はじめまして』から始まった関係がやがて絆を強め、良いチームへと成長していくのも乃村工藝社ならではの醍醐味です。制作管理の女性管理職を目指す女性と出会えることを楽しみにしています」乃村工藝社ならではの成長機会をものにしながら、着実に成長を遂げてきた酒井。制作管理として、また女性管理職として、可能性とインスピレーションに満ちた彼女のキャリアは、次世代を担うリーダーたちに希望の光を投げかけ続けます。※ 記載内容は2023年12月時点のものです 

街に新しい価値を──商業施設を起点に乃村工藝社プランナーが描く「未来の街」づくり

街に新しい価値を──商業施設を起点に乃村工藝社プランナーが描く「未来の街」づくり

学生時代から街づくりに興味を持っていたという渡会 ちひろ。2007年に入社し、開発営業・リーシングを経験した後、複合開発や商業施設などを手掛けるプランナーを務めています。関わる人たちと丁寧にコミュニケーションをとりながら、未来の街を描いていく、夢あふれる仕事。そんな渡会のキャリアと想いを紐解きます。 大規模な案件を多数担当。重要なのは「小さな判断の積み重ね」クリエイティブ本部 プランニングセンター 企画2部に所属する渡会。部長として20名ほどのメンバーをまとめながら、同時に現場でも活躍しています。企画2部が担当するのは、複合開発や商業施設・スポーツエンタメ分野・官民連携による公共施設・地域創生など、多領域に関わるプランニング。あらゆる分野の場づくりから仕組みづくりにまで、日々向き合っています。プレイヤーとして現場で活躍しながら、部長としてどのプロジェクトにどのメンバーをアサインするのかを決めたり、メンバーが推進する業務のフォローをしたりする日々。業務の中で大切にしているのは「小さな判断」を大事にすることです。渡会  「私の部で扱う案件の傾向は、規模の大きな開発が多いこと。大きければ大きいほどプロジェクトの完成までには多くの時間がかかります。2030年以降に竣工を迎える、先の長い案件もたくさんあります。自分たちがやってきたことがすぐにかたちにならないとか、さまざまな事情で最後まで伴走しきれないとか、焦りやもどかしさを感じることもありますが、どんな大きな仕事も小さな判断の積み重ね。一つひとつの検討や決断を、丁寧に積み上げていくことを意識しています」小さな一歩が積み重なることで、最高の仕事へとつながっていくのです。渡会  「当社の仕事に共通して言えるのは、唯一の正解がないということ。同じ課題や目的でも、アプローチの手段や方法・提案のパターンは無数にあります。お客さまとの対話を通しながら、チームみんなで最適解を模索していく共同作業なのです。どんな案件に対しても、毎回オーダーメイドで新しく考え続けなくてはならないので、大変です。でもそこが面白いポイントでもあります。みんなで意見を交わすうちに、少しずつ最適解に近づいていく感覚が面白いし、やりがいを感じるところです」 街の活性化を目撃した大学時代。街づくりの仕事に可能性を感じた▲「東京ソラマチ」ⒸTOKYO-SKYTREETOWN大学・大学院では都市計画系の学科を専攻。地域再生をテーマにした研究室で、街を活性化するためのアプローチを考えていました。渡会  「研究活動で通い詰めた街で目撃した、忘れられない光景があります。都心部の中小のオフィスビルが立ち並ぶ雑然とした街の一角に、ある日1軒のカフェができたんです。店主の人柄や、開放的で洗練された雰囲気もあって、そのカフェを中心に新しいコミュニティが生まれ、周辺にも新しい店ができ、街が少しずつ活性化していきました。周辺のマンション開発によって居住者が増え、働くだけの場から生活の場へと、街が変化する過渡期のことでした。倉庫だったビルの1Fを、街の誰もが集える場にしたいというビルオーナーさんの強い想いがあってようやく実現した店だったと、後になって知りました。自分の街に対する想いに感動したと同時に、店という存在が持つパワーを実感した出来事です。街にポジティブな変化を生める仕事をしたいと、強く思うようになりました」街づくりに関われるプランナーになりたい。希望を胸に就職活動に飛び込み、乃村工藝社と縁を結びました。渡会  「乃村工藝社の面接で特に印象的だったのは、風通しの良さ。みんな自然体で、役員もまったく気取っていなくて、立場に関わらずみんながすごくのびのびとしていて魅力的でした。また、OB訪問で、先輩の仕事内容を詳しく見せてもらったことも覚えています。いろいろな企画書をもとに、エリアの特性をどう読み解いたのか、街にどんな要素が必要か、どんな利用シーンを想定して企画やデザインをしたのか、一連のストーリーを丁寧に教えてもらいました。これこそ自分がやりたい仕事だと感じましたね」入社後は、営業開発部門で2年間プロジェクトに関わりました。渡会 「最初の仕事は、東京スカイツリーの足元にある商業施設『東京ソラマチ』の基本構想業務でした。新人だったので何ができるわけでもなかったのですが、そばにいてみんなが仕事にかける熱量に圧倒されました。社内外のあらゆる関係者が集まって定例会議を繰り返す日々。その中心にいた営業の先輩は、まるでオーケストラの指揮者のようでした。状況を俯瞰し課題を見極め、先回りして打つべき手立てを判断する、それに呼応するようにプランナーやデザイナーが動く。チームで動くってこういうことなんだ、と強く印象付けられた経験です」2年間営業を経験した後、2009年からはテナントリーシング部門へ。渡会 「テナントリーシングとは、デベロッパーと共に、それぞれの商業施設に適した集客・収益面での戦略を立て、その実現のために最適なテナントを誘致する仕事です。商業施設はテナントの力なしには成り立ちません。一社一社と丁寧に会話を重ね、誘致交渉を行います。リーシング部門では、若手であっても商談には一人で臨むことが常でした。相手は社長や店舗開発の責任者など、当時の私とはとても比較にならないほど経験も知識も豊富な方々。当然最初は怖さがあったのですが、自分の言葉で想いや戦略を伝え、相手からはブランドのコンセプトや未来の展望を伺い、とじっくり対話を重ねる時間が次第に大好きになっていきました。たくさん失敗もしたけれど、その分多くの学びと度胸を得られた期間でした」 都心部におけるエリアの再開発案件にジョイン。業務全体を俯瞰しながら調整を重ねた育休・産休を経て、2018年からはプランニング部門に異動。東京都心部、地方都市など、さまざまなエリアの商業施設やエリア活性に携わる案件に関わってきました。最近担当している大きな仕事は、某東京最都心部におけるエリア再開発です。渡会  「ここは、向こう4~5年にわたって駅周辺での大規模再開発が続くエリア。商業・オフィス・ホール・ホテルなどのあらゆる都市機能を複合した高層ビルが複数計画されているのですが、そのうちのいくつかの案件における低層にぎわいゾーンの基本構想に携わっています。また、一つひとつがどうあるべきかだけでなく、それぞれの開発がどう役割分担をしてエリア全体を活性させていくのか、商業のマスタープランづくりにも関与しました。各案件を担当する関係部署の方々を集め、二十数人と喧々諤々やりました。いろんな人が、いろんなベクトルを向いている状態なので、最初はかなり大変でしたよ」はじめはバラバラだった人たちがまとまっていく姿に、渡会は大きなやりがいを感じたといいます。渡会  「先の長い開発なので、この先方針は変わっていくかもしれない。けれど、いま想うビジョンを言語化して、一旦それに沿って進めてみる。進めながら調整する。そんな動きを促す素地をつくれたことに、手応えを感じました」 「無限の芸風」をいかに生かすか。プランナーのアサイン業務にも注力 学生時代に夢見ていた、街づくりのプランニングに関わる日々。難しい案件も多いですが、これからも真摯に向き合います。渡会  「商業施設は営利事業ですが、街にあらゆる人の居場所をつくるという意味では、とても公共性の高い事業でもあると思っています。例えば、孤独などの社会課題に対するアプローチや、子どもを地域で見守る共育て、地域独自の魅力や資産を生かした取り組みなど、地域の中心点として求められる役割を持った施設づくりを行ってみたいです」これからもメンバーを鼓舞しながら、歩みを進めます。渡会  「当社にはいろんなキャラクターの社員、いろんな芸風を持った社員がいます。600人クリエイターがいるので、2人集まれば36万通り、3人集まれば2億通りのアウトプットが出る。社内では、『無限の芸風』という言葉で語られます。だからこそ、どんな業務にどんなタイプのメンバー構成で挑むのかがとても重要。より良い成果を生むマッチングに向け、タレント事務所の敏腕マネージャーのように振舞えたらいいなと思っています」部署だけでなく、会社全体のさらなるアップグレードも目指します。渡会  「いまでこそ子育てをしながら働くプランナーが大分増えましたが、私が育休復帰した当時はこの部門で唯一私が働く母。だからこそ、これから子どもを持つことになるかもしれない後輩たちが、“自分もできそうだな”と思える働き方をしたい、とは常々思っていました。過度に頑張り過ぎることも、変に抑制し過ぎることもなく、普通に頑張って、普通に活躍できるような。それをサポートするためにまだまだできることはたくさんある。業務の効率化や仕組み化などの環境整備にトライしたいです。またビジネスの面では、プランニングをもっと高く売り出せる工夫もしたいです。アウトプットの質量に対して、コスパが良過ぎる業務も多いと感じています。乃村工藝社のプランニングの価値と意義を正しく理解してもらい、社会からの評価につなげていきたい。プランナーのポジションをもっともっと上げていければと思っています」豊かなアイデアと思考力で、街をつくる仕事。たくさんの人を巻き込みながら、これからもワクワクする未来を実現していきます。 ※ 記載内容は2023年12月時点のものです 

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